-日本に相応しいGAP規範の構築とGAP普及のために-

『GAP普及ニュース 巻頭言集』

 普及ニュースに掲載された、有識者による巻頭言。

『イングランドGAP規範に学ぶ』

GAP普及ニュース14号(2010/9)掲載

山田正美
一般社団法人日本生産者GAP協会 理事
元福井県農林水産部技幹

 ヨーロッパを旅行して目にする美しい田園風景は、長い間そこに自然に存在し、変化から取り残されているような錯覚を、誰しもが覚えることでしょう。しかし、現実の農村には、目に見えない地下水の硝酸塩汚染や、アンモニアによる大気汚染、水質汚濁など、農業を産業として発展させようとすると、色々な問題が生じてきます。そのような中で、美しい田園風景が維持されているという表面的な事実の裏では、農業をしている農民達が何を考え、何を求めているのかを深く掘り下げ、何を政策として誘導していくかという、表に出ない努力をしている人が存在しているのです。

 一時夢中になって読んだ「英国のカントリーサイド・幻想と現実」というハワード・ニュービーの著書(生源寺眞一氏監訳、1999)には、こうした田舎の現実や政策について詳しく紹介されています。重要なことは、農業という産業と美しい田園風景の両方を持続させているために、実効性のある政策として何をしなければならないかということを長い時間軸で実行していることです。その政策の基本となるものの一つとして、GAPの発祥の地と言われ、早くから取組んでいるイングランドのGAP規範があります。

  イギリスでは、環境に大きな影響を及ぼす農薬を安易に使用してきた反省から、「職業保健安全法」(1974)や「食品及び環境保護法」(1985)等の法律が基本になり、1989年以降、農薬の適正使用や使用者の労働安全などの面から、農薬の使用や販売・貯蔵などに関わる人は、農薬を安全に取り扱えるように、資格の取得が義務付けられました。この後、農場における「農薬の安全使用と所持のための実施規範」(略称グリーン規範)が定められ、これがGAPの考え方の基礎になっています。

  その後、1991年から1993年にかけて「水保護のGAP規範」、「大気保護のGAP規範」、「土壌保護のGAP規範」がイングランドで策定され、GAP規範の本格的な導入が図られました。これら3冊の規範は、法律や政策の変更、新たな科学的知見なども反映させ、1998年に改訂され、昨年(2009年)1月には、これまで水、大気、土壌と別々であったものが、イングランドのGAP規範として全面改訂され、1冊にまとめられました。GAP規範が一冊になったことで、実際に農場管理の実務を行っている農業者にとって使い勝手の良いものになっています。

  当協会では、この最新版を日本語に翻訳し、「私達の水・土壌・大気の保護-農場主や生産者、土地管理者に対する適切な農業実践の規範-」としてこの春に出版しました。このイングランドGAP規範の特徴は、イギリスでは牧畜が盛んであることから、畜産により生じた糞尿をいかに安全に農地に還元するか、糞尿に含まれる窒素成分が硝酸塩となって地下水を汚染するのをいかに防ぐか、大気中へ放出されるアンモニアをいかに減らすか、ということに力点が置かれています。また、その中で、自然生態系を守るため、生け垣や小川の岸から一定の距離以内に肥料をまくことが固く禁じられており、昆虫やねずみといった小動物の生息地や植生にも影響がないよう、環境の維持に最大限の配慮がなされています。もちろん環境保全だけではなく、農業を営む農業者の「作業の安全」や生産される「農産物の安全性」についても配慮されています。

  素晴らしいGAP規範があっても、それを農業者が遵守しなければ、絵に描いた餅に過ぎません。そのためにイギリス政府は、農業者に対してGAP規範を確実に遵守して貰うためのインセンティブを政策によって与えています。これは規範の中で示されている遵守しなければならない項目や基準を、もし「守れなかった」あるいは「守らなかった」場合には、農家に直接支払われるEUの補助金の「単一支払い」が、ペナルティーとして減額されるというクロスコンプライアンス義務によって行われています。いわば最低限の「農業者としてのマナー」を守って貰うための政策誘導ということになります。こうすることで環境の維持に対する実効性を確保しているのです。

  こうしたイングランドのGAP規範をそのまま日本に適用するには、あまりにも農業を巡る状況や社会的な環境が違い過ぎます。イギリスは冷涼な半乾燥の気候で、牧畜と小麦などの畑作が中心であるのに対し、日本は温帯モンスーン気候で、水田による稲作、施設園芸、舎飼いの畜産が中心になっています。

  現在、日本には、農業生産者が遵守すべき「GAP規範」といわれるものがありません。かといって、ヨーロッパの代表的なGAP規範であるイングランドのGAP規範を適用するには、あまりにも農業や気象、社会環境などの条件が異なっています。

  このため、当協会では、日本の農業実態や関連する法律・規則、また、気象・土壌等の自然条件や豊かな環境保全の視点などを取り込み、日本の農業者に農業実践に役に立つ日本のGAP規範を早急に作成することが必要と考えています。この日本のGAP規範ができることで、日本の美しい自然環境を維持し、日本人の健康を守り、日本の風土に根ざした特徴ある農業の持続的発展に貢献するものと期待しています。

GAP普及ニュースNo.15 2010/9