-日本に相応しいGAP規範の構築とGAP普及のために-

『GAP普及ニュース 巻頭言集』

 普及ニュースに掲載された、有識者による巻頭言。

『インド農業を垣間見て考える日本の農業研究』

GAP普及ニュース17号(2011/1)掲載

二宮正士
一般社団法人農業生産者GAP協会 常務理事
東京大学 教授
東京大学大学院農学生命科学研究科附属生態調和農学機構

 20世紀の中頃は、まだ人々が飢えていて、食料増産に邁進した時代がありました。化学肥料・農薬、潅漑、農業機械、品種改良などの発展がそれらを支え、比較的短期間に目標を達成しましたが、まもなく深刻な環境への影響や食の安全などの問題が浮上してきました。また、地球温暖化が原因とされる不安定で極端な気象条件は、食糧の安定生産という課題もつきつけています。現に今年は、猛暑が原因で一等米の比率が全国平均で60%程度と、農家の経営に深刻な影響を与えそうです。今こそ、環境にも消費者にも生産者にも優しく、不測の事態にも頑健な、広い意味で持続的な農業の実現が必要となっています。

  さて話は変わりますが、ここ数年、二国間の研究プロジェクトでしばしばインドを訪問しています。これまで開発した小型のモニタリング機器を導入して、不足する地上観測網を整備し、農業に役立てようというのが目標です。デカン高原の真ん中にあるハイデラバートの近くにテストベッドを展開していますが、1日3食、7日間連続で21食カレーばかりという生活をしながら、インド農業のごく一部を垣間見ることができ、農民達とも何度か交流をしました。元々雨期と乾期が明瞭な半乾燥地であり、広く二毛作が行われ、潅漑があるところでは水稲の二期作も行われています。詳細は別の機会に譲りますが、驚いたのは、農民達の農業の持続性に対する意識がとても高いことです。

 「緑の革命」の大成功の舞台となり、飢えから一気に解放された経験をもつインドですが、多投入に支えられた農業が、土地の疲弊などをもたらし長続きできないこと、資材コストがとてもかかることを身をもって知ったということもあるようですが、一方で自然と共生する彼ら特有の宗教観・自然観にも関係しそうです。私が交流した農民グループも、いかに農薬を減らせるか、減肥できるかを追求していて、気温や湿度の計測を通してカビなどの病気を的確に予測できることを強く望んでいました。研究者もそれに応えるために、日本では考えられないくらい有機農業や低投入農業の研究に熱心で、省エネ・低投入で病気にも強く、収量性の高い水稲栽培をめざすSRI(System of Rice Intensification)も盛んに研究され、そのために1本植えのできる田植機なども開発中でした。マンゴーなどの果樹の研究所も訪問しましたが、急速に拡大する有機農産物マーケットに呼応できる栽培方法や耐病性の品種改良なども相当の規模で展開し、輸出を目指して日本のマーケットの状況なども調べているとのことでした。

  プロジェクトの開始前、私には「インド農業」というと、何億人の貧しい農民が牛1頭で細々と行っているという印象が強かったですが、裸足の農民達を見ると、今でも第一印象は同じかもしれません。しかし、実際には持続的な農業の重要性を認識し、村のリーダーを中心に高い意識を持っていろいろ工夫していることに感動しました。試験研究機関や大学もそれをサポートすることに非常に熱心です。試験研究機関といっても決して立派なものではありませんが、本筋を的確に捉えて研究開発を進めている印象がありました。

  日本では相当異端児扱いされた自然農法の福岡正信氏ですが、今回のプロジェクトでおつきあいした工学部系の教授の間ですら福岡氏は著名であり、2年前に亡くなったときにはインド国内で大々的に報道されたそうです。福岡氏は、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞を受賞されていますが、氏の業績について一切の偏見をなくして、まず事実から冷静に見据え、成果を受け入れる立場に科学者としての正しさを見ます。私は自然農法の信奉者ではありませんし、それがオールマイティーとも考えませんが、少なくともきちんと科学な目で評価をする必要性を強く感じます。日本で自然農法を実践する方々の著作を読んでも、科学的分析をして欲しいとのメッセージがしばしば研究者に呼びかけられていますが、残念ながら全く不充分というのが現状です。

  これは、自然農法といわず、有機農業についても、それほど状況は変わりません。有機農業は、長らく研究対象として奇異な目で見られてきました。農水省系の独法研究所でそれなりの規模で研究が開始されてまだ数年です。特に農水省系の研究所では、農政に呼応して研究・開発をせざるをえず、農政が猫の目であれば研究もそうなってしまうという決定的な問題があります。そのために、パラダイムシフトを図るような統合的な研究開発は非常に困難です。一方、もう一つの研究の場である大学では、自由度は高いのですが、個人的なピンポイントの研究が主流で、そのような統合的な研究の場は無いのが現状です。

 冒頭で述べたような新しい持続的農業の実現には、極めて多くの関連要素を考慮した最適化が求められ、パラダイムシフトを起こすには、間違いなく統合的な研究展開が必須になります。そして、その中に科学的根拠をもって有機農業などを取り込むことが必須と考え、どうにかそのような研究展開ができないものか、現在模索中です。

GAP普及ニュースNo.17 2011/1