-日本に相応しいGAP規範の構築とGAP普及のために-

『GAP普及ニュース 巻頭言集』

 普及ニュースに掲載された、有識者による巻頭言。

『想定外を想定するリスク認識とリスク管理を考える』

GAP普及ニュース19号(2011/5)掲載

田上隆一
一般社団法人生産者GAP協会 理事長

 この度の東日本大震災によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様に心よりのお見舞いを申し上げ、皆様の一日も早い復旧と復興を心よりお祈り申し上げます。

 3月11日に発生した宮城沖を震源としたマグニチュード9.0の巨大地震は、激しい大地の揺れと巨大な津波を引き起こし、東北・関東沿岸の港町と田畑を飲み込み、その姿を一変させ、人々の暮らしを土台から破壊しました。これに追打ちをかけたのが東京電力の福島第一原子力発電所の事故であり、これにより大量の放射性物質が飛散した環境汚染は、世界をも震撼させる大事件になっています。

情報がない不安

 この度の大震災では、原発の原子炉や使用済み核燃料の貯蔵プールの冷却が長時間不能になることで未曽有の大事故が発生しました。地震の翌12日から15日にかけて原子炉建屋が水素爆発を起こし、核燃料を冷却するために放水した水により大量に発生した汚染水が漏水し、大量の放射性物質が大気と海そして土壌へと広範囲に放出されました。

  原発周辺に住む住民は、詳細を知らされないまま退避命令により避難させられ、一ヵ月半後に新たに計画的避難区域が設定され、目処が示されないまま避難させられようとしています。当初から、詳細な情報が示されず、説明もされないことで、日本全体が不安な状況に置かれ、国際社会からの信頼も失墜するという甚大な被害が発生しています。

  原発の被災県では、ラジオで各地の放射線量の観測結果が逐次発表されており、この放送の「何々シーベルト」という言葉を聞く度に、原発事故の異常さと恐怖心を感じます。

  この原発事故は、地震と津波による天災とは区別して考えなければなりません。地震と津波に追打ちをかけるように発生したこの人災は、人の命を脅かし、長期間に亘って環境を汚染し、農業や漁業を破壊していきます。また、目に見えない放射性物質の漏出は、様々な風評被害を生みだして人々を不安に陥れています。

  このような非常時に頼るべきは国ですが、日本の政府は、最も重要な時に放射能汚染の情報を隠し続けてきました。インターネットでは、アメリカやEU各国の気象機関などが放射性物質の拡散予想図などを早くから出していましたが、肝心の日本政府は、国民の再三の要求にも関わらず隠ぺいを続け、5月2日になってから謝罪して、「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」の未公表データを公開することにしたのです。事故発生時から隠し続けた約5000件にも上る放射性物質の予測マップ情報が、5月3日から文部科学省や原子力安全保安院などのホームページで一斉に公開されました。

  日本政府はこれまで、原発から半径20キロ圏内を立入り禁止の「警戒区域」に指定、30キロ圏内を「屋内退避区域」後に「自主避難区域」などに指定してきましたが、今回の公開情報を見ると、誰もが心配したように風向きによって汚染地域は全く異なっており、国民は情報の隠ぺいによる事実上の被害を受けています。

  一人一人がリスク認識を持ってリスクを管理するためには、関係機関などによる情報公開が必須要件です。特に農産物や水産物とそれらの加工・調理食品に対する不安を解消するためには、行政の危機管理に対する姿勢と対処能力が強く求められます。政府は、国民と国土を守るために考えられるあらゆる手立てを講じなければなりません。

  日本の法令では、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告を受け入れて、一般の人が1年間に浴びても問題がない放射線量を1ミリシーベルトと決め、これが「規範」となっています。したがって、今回の原発事故による放射性物質の漏洩により、放射線量が1ミリシーベルト/年を超えることが予想される地域に対しては、放射能リスクを避けるための対策を取るべきところですが、あろうことか、日本政府は、勝手にこの「規範」の内容を変えようとしています。リスクが考えられる小中学校や幼稚園での屋外活動を制限する放射線量の基準に関して、文部科学省は、線量の限度を20ミリシーベルト/年に引き上げ、5月2日の国会でも問題視されていますが、既にこの基準で行政施策を実施しています。

  少なくとも、放射性物質と放射線の影響を強く受ける子供達と、大人の原発作業員とが同じ規準で良いはずがないことは、多くの人が指摘するところでもあります。

GAP規範とリスク管理

 このように業務の権限を持つ者が、正当な「規範」を遵守せずに行う行為は、不当または不正な行為になります。困難に当たって求められるのは、正しいリスク認識を持った者が、正しい知識と判断力によりリスク評価を行い、その結果、リスクが許容できる範囲を超えた場合に、リスクを軽減するなどの対策をとるという「適正なリスク管理を行う」ことなのです。リスク管理の一連の行為の根拠となる科学的な「知識」や、「基準」の元になる法律・規則等を体系的にまとめたものが「規範」と言われるものです。したがって、現状に合わせて「規範」を変えるのでは、リスク評価はおろか、リスクの認識そのものを否定するものになってしまいます。

  私達が取り扱う健全な農業のための「GAP規範」は、一つ一つの農業の実践が「道理」に合ったものであるかどうかを判定するための「根拠」です。「現状に合わせて規範を変える」のではなく、「規範に基づいて行為を改善する」必要があり、そのために予め熟考された内容を「規範」として明確に位置付けておかなければなりません。

  これまでは例外扱いされてきた放射性物質も、これからの農業において重大なリスク要因に加えられました。強大な自然の猛威に対しては打つべき手立ては限られていますが、人災である放射能汚染に関しては、「農業のあるべき姿」としての「GAP規範」に位置付けなければなりません。被災した農家がこれから生きて行くだけなら頑張れば何とかなります。しかし、日本の農業がこれ以上衰退していくことは国民の危機でもあり、食糧危機に直結するものです。原発の事故のことを考えると遣る瀬無くなりますが、こういった人為的な大惨事も想定した上で、日本農業の在るべき姿を考えて行かなければならなくなったのです。難しいこととは思いますが、今後は、放射性物質による人為的な環境汚染、健康被害、農産物汚染についても対応して行くことが重要な要因になったことだけは確かです。今後とも日本生産者GAP協会として、注視して行きたいと考えています。

GAP普及ニュースNo.19 2011/5