-日本に相応しいGAP規範の構築とGAP普及のために-

『GAP普及ニュース 巻頭言集』

 普及ニュースに掲載された、有識者による巻頭言。

『日本GAP規範』の意味するもの

GAP普及ニュース20号(2011/6)掲載

日佐和夫
東京海洋大学大学院食品流通安全管理専攻 教授

 私と農業との係わりは、1996年に「カイワレ大根衛生管理マニュアル策定委員会」の委員として、マニュアルの策定作業に関与したことに始まる。それまでは、農・畜・水産物などの生鮮食品は「管理が難しい」という印象があり、生鮮加工業者あるいは卸加工業者を監査することによって、生鮮食品の販売時におけるリスクを回避してきた。

 小売業における品質管理・安全管理では、ドライグロサリーの化学的危害については食品添加物が中心であり、日配商品と一部の生食用魚介類などでは病原微生物が主な対象とされていた。農産物の衛生管理については、「カット野菜」、「カットフルーツ」が問題になるが、一般青果物では、一時「泥つき青果物」が喜ばれた時期もあったくらいである。その後、残留農薬や環境汚染物質、遺伝子組換え食品などの多様な危害(ハザード)要因が注目されてきた。

  このようなまだ衛生管理の意識が低い状況の中で「カイワレ大根衛生管理マニュアル」の検討を行ったのである。このとき、未加工の農産物とその原料がPL法(製造物責任法)の対象になるのかどうか疑問に感じ、委員会で意見を述べたが、無視される中でマニュアルの作成が進められた。この時には、委員会における生産者の不在(委員の辞任)、省庁間の不協和音(衛生問題が全て、対応の不備)などの問題に直面し、苦慮したという記憶がある。一方では、カイワレ大根に対する風評被害により、多くの専門の業者が倒産するなどの壊滅的な打撃を受けたことに対して、消費者やマスコミに対して少なからず不信を募らせたことは否めない。

  このような背景の下で、1998年10月に、「生鮮青果物の微生物的危害を最小限に抑えるための食品安全ガイド」が米国で発行された。一方、ヨーロッパでは、安全性を中心とした農場認証としてのEUREPGAPが生まれ、GLOBALGAPに名称が変わって世界に認知され、欧州に農産物を輸出している国々のGAP規準(商業GAP)との間で「同等性認証」が進んでいるようである。商業GAPは、認証ビジネスである限り、その危険性は農業生産者の視点ではなく、小売業あるいは消費者の視点で物事が決められていく点で、食品工場の監査と似ている。小売業や消費者の視点での問題点の指摘や改善提案を否定する気はない。しかし、その背景にあるバイングパワーや消費者パワーが、農業生産の持続性にとって問題であると思われる。食品企業の間では「B to B」で割り切れるところもあるが、農業生産や農産物について、あるいは農地や農家に対して「B to B」の論理で進めても良いのかという疑問を生じる。「B to B」の論理は明快であるが、そこには「農業者意識の近代化」を阻害する大きなリスクがある。これを解消するのが、農業生産者の視点に立った「GAP規範」の考え方であり、「農業の近代化」ではなく、「農業者意識の近代化」に貢献するものではないだろうか。

  食品工場の監査を業務としていた私の過去を振り返ると、取引き先にとっては「狂気に刃物」であり、「評論家でかつ建前論者」であり、「責任を持たない審査員」であり、「バイングパワーを背景にしたヤクザ」であったと反省している。まだ食品工場は制御できる部分が多いが、能力の低い監査員が無謀な指摘をしても、幾らコストがかかっても、製品そのものへの影響は少ない。しかし、農場となると、食品工場に比べて基本的に制御できる部分が限られている。そこで、力量の低い審査員の指摘を、それを正しいとして諦めて受け入れるわけにはいかないだろう。これは食品工場の安全衛生監査における審査員の力量の問題と同じであるが、農業現場の方がよほど深刻である。

  前述のように、農場のような生産現場において、GAP規範に基づく適正農業実践となると、様々な難しい問題があると思う。消費者の視点、小売業の視点で農場を見ることは、一見正しいように見えるが、「原子力発電の安全神話」のように、何か将来的に「大きなリスクが発生する」ように思えてならない。すなわち、「過去の農業施策により多額の補助金を投入した結果が、今日の日本農業の混乱と崩壊を招いているように・・・。

  それなら、いっそ消費者、小売業、農業生産者などのそれぞれの視点で考えれば良いのではないかということになるが、これまで多くの議論の中で、少なくとも農業現場に配慮した内容でGAPが検討されてきたとは思われない。一部の行政組織、一部の流通企業、一部の農業グループが中心になってGAPが農産物流通の農場評価としてのみ議論されており、現代農業の諸課題についての科学的視点、特に農学的視点が欠けていたような気がする。農場認証(GAP規準)を通して、消費者や小売業の要求事項を受け入れることは重要と思う。しかし、これまでのGAP認証では、それらについての妥当性を確認しているかというと必ずしもそうではない。ISOでは法令順守も重要で、食品工場監査において、チェックリスト監査がなされている。しかし、このチェックリストの指摘内容の根拠(エビデンス)を求めると答えられない監査員がいるのだ。これと同じようなことが、これまでのGAP普及の現場で起きていなかったであろうか。

  GAPは、HACCP支援法に基づいて補助金を受けるための認証でもなく、必ずしも仕入れ基準にもなっていないものと思う。これは、農業者が品質の良い農産物を生産し、消費者へのより広い選択支として提供するためのものであると理解している。

  一般社団法人日本生産者GAP協会で策定された「日本GAP規範ver.1.0」は、農業者のあるべき姿を示したもの(農場実践を評価するための根拠)であり、現在、農場等を評価する物差しの基準文書を策定しているところである。これは、買い手側の要求事項ではなく、「日本農業がどうあるべきか」、「適正な農業実践はどうあるべきか」などについて規定した「日本GAP規範」に、どの程度準拠して農業が行われているかを判定する規準文書である。農業生産の視点からのこれら文書(規範・規準)は、日本の農業の方向を生活者・国民に訴えるための大きな指針ではないかと思われる。

GAP普及ニュースNo.20 2011/6