-日本に相応しいGAP規範の構築とGAP普及のために-

『GAP普及ニュース 巻頭言集』

 普及ニュースに掲載された、有識者による巻頭言。

『農場監査における「形式知」と「暗黙知」とのバランス』
~農産物にどこまで安全・安心を求めるのか~

GAP普及ニュース29号(2012/11)掲載

日佐和夫
元東京海洋大学大学院食品流通安全管理専攻 教授

はじめに

 農産物の安全性について、EUREPGAPにおける主なハザードは残留農薬をはじめとする有害な化学物質であり、アメリカのUSDAなどでは、中南米などから輸入される農産物の病原微生物がその主な対象であった。その後、GLOBALGAPやISO22002-3:2011(農場)では、従来の重要なハザードであった農薬や病原菌も含めた全てのハザードが対象となり、農場におけるハザードの地域性(国別、地域別など)、農法(栽培方法)、作物別特性、調製加工特性、物流特性、消費特性(サラダなどの生食用、加熱調理用等)などについて、一部は考慮されていると思われるが、農業監査や指導する監査員(指導員)の中には、これらの視点に立った農産物に関するハザードの重篤性や発生頻度に関する評価がなされているとは言えず、その多くは、全てのハザードを「端から監査」しているものと推測される。

 一方、カイワレ大根が「原因?」とされた腸管出血性大腸菌O-157による中毒事件(1996年)を契機に、農林水産省は、農家へのGAP導入率の目標を50%としたことがあった。この数値目標は、農業の企業化という視点から、個人や極小規模の農家を淘汰・統合し、企業化できる農業の作付面積を確保するというコンセプトがあれば納得できる。しかし、このようなコンセプトもないようである。

  農家への「GAP導入率50%」で思い起こすことは、1980年代の後半から1990年代にかけてのHACCP導入ブームである。この時期に、行政サイドからHACCP導入を推進するための支援があったと記憶している。しかし、多くの企業は、特に、大手小売業との取引き関係のある食品製造企業は、HACCP対応工場という名のもとに新工場を建設した。その結果、HACCPプランの検討に関係なく、工場の外観・設備などのハード面が評価され、取引きの拡大に結びつき、多くの食品企業は、その業界での確固たる売上を確保したという事例が数多くある。その結果、零細な食品工場や家内工業は淘汰された。

  食品工場の多くは、クローズド(密閉空間)の設備で食品が製造される。一方、農産物をはじめとする生鮮品は、一部を除けば、オープンまたはセミオープンでの栽培であり、外的要因のハザードをコントロールすることは難しく、かつ、その多くは野菜などの生鮮品であり、生食用にされるものである。しかし、最近はGAPが、農産物の安全管理手法としてのイメージがあることは否めない。まず、GAPは、対象とする農場、農産物、収穫後の調製加工、さらには物流や販売・消費などの段階における「問題点を把握する手法」であると筆者は考えている。このような視点から「食と食品安全」について考えてみたい。

GAPにおける「形式知」と「暗黙知」

  全ての「食品安全」に関する論議において共通する問題であるが、「形式知」と「暗黙知」について考える必要がある。すなわち、「食と食品安全」、「品質管理・衛生管理」においては、「正論」だけを論じていては意味がないことを認識すべきであろう。特に、監査に関わる者、仕入れ先の選定に関わる者などは、この二つの考え方を現場監査と仕入れ業務において充分認識する必要があろう。

  農業分野の監査においては、GAPやSQF1000などによる急激な「形式知」の正論が導入され、農業現場において混乱が見られたが、多くの農家は、盲目的にこの正論を受け入れざるを得ない状況にあると推測する。日本の農業現場の多くは、家族経営または零細農家がその殆どを占めている実情から、一部の農家を除けば、農業経営のスタイルの変更(農業法人化、企業の農業への参入:休耕田・廃耕田の活性化)や、残留農薬基準などの法令遵守をした農産物、強調表示(有機農産物、無農薬農産物、品種特性、生産地特性など)などを検討しながら、大規模な栽培や特別栽培農産物などの中でGAPの導入を図る必要があると考えられる。

  監査と農家の関係は、客観的なGAPの導入に対する評価ではなく、双方(監査と農家)のビジネス的要素として成り立っていることがそもそも問題であり、その背景には小売業の存在が無視できない。今後は、小売業がラベル(例:GAP認証など)とレベル(農家と監査員の力量、特に監査員の要員認証機関)をどう評価していくのかが課題であろう。

形式知(明示知:客観的・理性的な知)とは

 主に文章化・図表化・数式化で説明・表現できる知識、論理的に正しいことを言う。計画力・企画力がある(エリート層)等.また、組織における一般例として作成された作業手順・マニュアル類などが挙げられる。

暗黙知(経験・勘に基づく知識)とは

 言葉にうまく表せない現場の経験から得られるもの(いわゆる、たたきあげによる知識)。近年、マニュアル人間に対する批判から「暗黙知」の重要性が再認識されてきている。

 以上のことから、農業現場では、チェックリストなどの漠然とした表現や、重要度の低い記録管理などが膨大なデータ量となり、その結果、検索が困難で共有が難しい形式的・分析的な管理手法の中で、「暗黙知」のレベルの重要性を経営者達が再認識してきている。このようなことが、今後の監査ビジネスに大きな変化をもたらすものと考えられる。

 特に、農業・農産物の安全性については、マスコミレベルの「安全幻覚」ではなく、農場、監査員、要員認証機関などが「科学的根拠」に基づく監査や、農家と農業技術者の経験と勘に基づく評価の総合的な視点から取引きの選定ができるような農産物の「新たな品質文化」を作りだすことが必要であろう。

GAP普及ニュースNo.29 2012/11