-日本に相応しいGAP規範の構築とGAP普及のために-

『GAP普及ニュース 巻頭言集』

 普及ニュースに掲載された、有識者による巻頭言。

『リスクリテラシーの構造とその重要性』

GAP普及ニュース32号(2013/5)掲載

田上隆多
株式会社AGIC GAP普及部長
一般社団法人日本生産者GAP協会 事務局長

 「リスクリテラシー」という言葉をご存じでしょうか。情報リテラシー、メディアリテラシー、科学リテラシー、金融リテラシーなど、近年、様々な分野で「○○リテラシー」という用語が使われています。「リテラシー」には、「読み書き能力、与えられた材料から必要な情報を引き出し活用する能力、応用力」(デジタル大辞泉)という意味があります。「リスクリテラシー」は、「リスクに接する際、その背景にまで考えを及ばせ、リスクの波及範囲を正しく見極め、対処する力」と説明されています(※1)。「適正農業管理」(GAP)には、環境保全、食品安全、労働安全などの分野における様々なリスクを回避または許容範囲内に維持する「リスク管理」が重要であり、そのためには、「リスク認識」のもとに「リスク評価」を行うことが必要です(※2)。その意味で、「リスクリテラシー」は、GAPにおける農場の「リスク認識」「リスク評価」「リスク管理」への対処力と同様の概念であり、農業者や指導機関などにとって必要不可欠な能力と言えます。

 リスクリテラシーは、(1)解析力、(2)伝達力、(3)実践力の3つの基本要素で構成されます。

  「解析力」は、「発生前のリスクの芽、あるいは発生したリスクの事象を解析する力」であり、「収集力」「理解力」「予測力」に細分化されます。筆者らが行うGAP研修では、「適切にリスクを管理するためには、まず『リスク認識』と『リスク評価』が重要である」と説明しています。「リスク認識」には「収集力」が必要です。「どんな危害要因があるのか」、「どのような危害が発生しうるのか」、「どのような対策があるのか」などについて、基本的な知識や過去の事例などを事前にどれだけ情報収集できるかが決め手になります。また、実際に危害が発生した際に、新たに必要な情報を収集できることも重要です。「リスク評価」には「理解力」が必要です。農場の現状を捉え、収集した情報と照らし合わせて現状を評価できることが重要です。農場等を見た場合に「リスクが顕在化しているか」、「潜在的なリスクが大きいのか小さいのか」、「緊急性が高いのか低いのか」などを客観的に漏れなく捉える必要があります。さらに、現状では顕在化していなくても、今後起こりうる可能性や、様々な状況が重なって起こりうる小さな可能性についても予測できること=「予測力」「予知力」も必要です。予測・予知ができることは、実際に危害が発生したときだけでなく、平時の管理を考える際にも役立ちます。

リスクリテラシーの構造
解析力
  • 収集力
    《リスク認識》
  • 理解力
    《リスク評価》
  • 予測力
伝達力
  • ネットワーク力
  • コミュニケーション力
実践力
  • 対応力
  • 応用力

  「伝達力」は、「実際に解析したものを共有し、解析結果を必要とする人々に伝えるための力」であるとされ、これには「ネットワーク力」と「コミュニケーション力」が含まれるとされます。「ネットワーク力」は、情報を発信する範囲や、そのツールや方法の多さなどであり、「コミュニケーション力」は、ツールや方法を駆使して実際に相手に伝え、相手に影響を与えるパフォーマンスのことです。農場管理においては、平常時および緊急時に情報を共有する範囲を明確にし、その方法を整備することが必要です。単に一般的な緊急連絡の体制を模するのではなく、リスクについて解析した結果を考慮し、必要な範囲や方法を決めていくことが重要です。例えば、「どのような食品の汚染事故が考えられるのか」、「どこまでの範囲に連絡すべきなのか」、「関係機関とはどのように連携すれば良いのか」など、自分の農場の立地や取扱品目、販売の方法や範囲、行政や広域の関係機関との関わりと照らし合わせて考える必要があります。農場内における教育・訓練活動も「伝達力」の範疇と捉えることができます。いくら作業手順やルールを細かく設定しても、作業者の行動や判断を全てコントロールすることはできません。従業員や作業者に対して、単に手順やルールを伝えるだけでなく、その背景にあるリスクとリスク管理の方法を理解してもらうことが大切です。

  「実践力」は、「リスク管理を実施し、リスクを回避するか、リスクの芽を除去し、リスクそのものを低減する力」であり、「対応力」「応用力」が含まれるとされています。文献1の事例では、「対応力」を主に企業に発生する危機に対応する力としていますが、農場においては、リスク評価を通して予め明らかになったリスクを低減するような管理体制にすることも含めて考えるべきです。例えば、「貯蔵タンクの損傷により燃料油が流出する事故」を想定した場合、発生した際には、応急的に損傷部分を補強して漏出を止める、消防等の関係機関に連絡する、河川等に流出しないように土留め等をする、などの対応が即座にできることが危機への対応です。一方、このような事故が発生しないように、あるいは万一発生しても影響範囲が小さくなるように防油堤を設置する、損傷がないか貯蔵タンクを定期的に点検するなど、予めリスクを低減する対策をとることが重要です。そのためには、広く情報収集し(収集力)、現状を良く把握し(理解力)、どのようなケースがありうるか想定できる(予測力)ことが欠かせません。「応用力」は、既存のまたは想定したリスクと異なるシチュエーションになった時に、過去のケースや収集した情報、把握している現状などを教訓に、どのように対処すべきかを検討・判断する力です。従って、応用力の基礎となるのは、解析で行う収集、理解、予測の充分な反復と言えるでしょう。

  以上のように、リスクリテラシーという能力は、シンプルかつ重要であり、農業に限らずまた個人か組織かに関わらず、普遍的な能力と言えます。しかしながら、上述のようなリスクリテラシーを能動的に身につけようとしている農場や、そのような機会を農業者に与えようとしている機関は見当たりません。日本は古くから「読み書きそろばん」といった「リテラシー教育」は広く普及されていますが、「リスクリテラシー教育」は行われてこなかったように思います。科学の発達や流通の広域化によって様々なリスクを抱えるようになったことは確かですが、いつの時代もリスクは存在しますし、時代とともに変遷するリスクとどのように付き合うかが、適正農業管理に重要なことだと言えます。日本では、GAP(Good Agricultural Practice)という言葉が意識的に使われるようになってから凡そ10年が経ちます。日本の適正農業推進に向けて農業分野における「リスクリテラシー教育」を充実させることが肝要であることは言うまでもありません。

《参考文献》

※1 林志行著「現代リスクの基礎知識 事例で学ぶリスクリテラシー入門」
※2 一般社団法人日本生産者GAP協会「日本GAP規範Ver.1.0」

GAP普及ニュースNo.32 2013/5