-日本に相応しいGAP規範の構築とGAP普及のために-

『GAP普及ニュース 巻頭言集』

 普及ニュースに掲載された、有識者による巻頭言。

『自然災害に対応するGAPとは?』

GAP普及ニュース33号(2013/7)掲載

小池英彦
一般社団法人日本生産者GAP協会 理事

 複雑化、高度化している人間社会が、さらに発展しつつある様相を「生活基盤の開発」という形で随所に見ることができるが、そのような中で、「環境にやさしい」とは何なのか、とふと考えてしまう。確かに農業では、皆が「環境にやさしい農業」を実践し、あるいは取り組もうとしているし、その他の分野でも個々に「環境にやさしい」ための技術開発などが行われている。

 しかし、例えば、省エネがますます進むにしても、人間社会の発展がどこかの段階で留まるか、元へ戻るかしなければ、環境への悪影響というものはなくならないのではないかと思われる。そうしてみれば、社会が発展することは、生きていく限り人間の本性としてどうしようもないことだから、返す当てがほとんどない「環境負荷」の償却期間を幾らかでも長くすることを「やさしい」と捉えておけば良いのだろうか?

  それはともかくとして、地球温暖化と言われて久しい中で、近頃の大規模な気象変動は、農業生産に大きな影響を与え、農家経営を圧迫している。最も大きなものは気象災害と言われるものである。農業は気象変動を大きく受けるものなので、そのリスクを回避する手立ては経験の中で積み重ねられていくことが多い。災害対策はある程度確立されているものの、災害(それによる被害)の大きさは自然のなすことであり、想定できないからこそ、対策への取組みの程度も農家それぞれで違い、結果として被害を受けた程度(リスク)が農家によって異なることになる。

葡萄棚の倒壊

図1 倒壊したぶどう棚

  今年に入った1月14日、本州の南に発達した低気圧により、関東甲信越で大雪が降った。「ここで、こんなに雪が降ったのは初めてだ」と多くの人が驚いた。翌日、ある葡萄栽培地区の人達は、葡萄棚の倒壊(図1)を目の当たりにしたと言う。棚の上の枝に降り積もった雪の重みに耐えきれなかった。雪に対する危機管理の必要性を身に染みて感じる災害である。棚そのものの脆弱性が問題ではあったが、この地区では、これまで今回のような大雪の経験がなかったため、棚の上へ雪が積もらないようにする対策の必要性を認識していない人が多かったと思われる。雪の多い地域では、棚の上に雪が積もりにくいように予め棚の上から葡萄の枝をある程度除去する。棚が倒壊するリスクを完全になくすことができるわけではないが、危害要因を受ける確率が小さくなる対策である。今回災害に遭った人も、この作業は欠くべからざるものとして定着していくだろう。

凍霜害

図2 最低気温

  4月22日、長野県内の中部から南部の地域で、この時期としては異例の寒波に襲われた。最低最高温度計がマイナス7度を示したような樹園地(図2)もあり、果樹、野菜で酷い凍霜害を受けた。今年は、3月から4月初めは、平年に比べて温暖な気候で経過していたので、果樹の生育は、それに応じて当初かなり急速な生育であった。ところが、4月中旬頃、「早春賦」で歌われている通り、不安定な春の気象を象徴するかのように急に寒くなった。りんごは開花が始まる少し手前で、梨と桃は開花が始まったところであった。りんごの主な被害は、図3の写真に示したように、めしべが褐変するものであり、梨と桃でも同じように花器が損傷した。こうなったものは、ほとんどが結実しないため、樹園地によってはかなりの収量減となるであろう。

図3 褐変しためしべ

  果樹栽培では凍霜害は必ず起こるものとの認識があり、確立された防止対策がある。日頃の栽培管理の中で行う間接的な方法、樹園地内の気温や植物体温を上昇させたり、植物体温の低下を防止したりして被害を回避する直接的な方法である。直接的な方法には、燃焼法、送風法、散水氷結法などがある。現状、防霜ファンが広く普及しており、今回の低温でも防霜ファンが稼働した園地は被害が軽減されていた。防霜ファンが設置されているとは言っても、やはり、中には整備不良やスイッチを切っておいたために稼働しなかったというリスク認識の低い事例があった。 凍霜害では、さらに幾つかの事後対策がある。一つは人工授粉で、被害があってもあきらめずに授粉を行えば、ある程度の結実が確保できる。ただし、これを実施するには、予め花粉を準備しておかなければならない。また、結実が少なく収量が見込めなくても、次の年に向けた樹の維持管理は継続していかなければならない。つらいところではある。

  柿も凍霜害を受けたが、私の見ているところでは、果樹の中で最も酷いダメージを受けていた。他の木々が新緑に萌えている中、しばらくの間はまるで立ち枯れのようだった。それでも生き抜くためのプログラムが予めセットされている。図4のように、枯れた主芽の腋から緑色の副芽が新たな芽生えとして顔を出していた。つくづく柿は強い果樹だと思う。


寺田寅彦の言葉

  寺田寅彦の随筆「天災と国防」から少々長いが引用してみる。

  『ここで、一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。人類がまだ草昧(そうまい:未開)の時代を脱しなかったころ、頑丈な岩山の洞窟の中に住まっていたとすれば、たいていの地震や暴風でも平気であったろうし、これらの天変によって破壊さるべきなんらの造営物をも持ち合わせなかったのである。もう少し文化が進んで小屋を作るようになっても、テントか掘っ立て小屋のようなものであって見れば、地震にはかえって絶対安全であり、またたとえ風に飛ばされてしまっても復旧ははなはだ容易である。とにかくこういう時代には、人間は極端に自然に従順であって、自然に逆らうような大それた企ては何もしなかったから良かったのである。

  文明が進むに従って、人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧・水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ、堤防を崩壊させて人命を危うくし、財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは、天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである、災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものは、たれあろう文明人そのものなのである。』

  (青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2509_9319.html の公開テキスト)

  この随筆では、天災にどう対処すれば良いかについて、幾つかの事例を引き合いに科学者らしい考えを示している。要は、『自然に逆らわず、災害は起こるものだから、先人の経験を忘れずに生かし、常日頃から対応できるようにしておきなさい』ということだと思う。農業は、まさに自然相手なので、我々は「環境にやさしくしてやる」的ではなく、「自然にやさしくしてもらう」的に、従順な態度でGAPを実践していかなくてはならない。

GAP普及ニュースNo.33 2013/7