-日本に相応しいGAP規範の構築とGAP普及のために-

『GAP普及ニュース 巻頭言集』

 普及ニュースに掲載された、有識者による巻頭言。

国家戦略としての『環境と人にやさしい農業の実践』
~GAPと「みどりの食料システム戦略」~

GAP普及ニュース67号(2021/10)掲載

田上隆一
一般社団法人日本生産者GAP協会 理事長

国民の食を自国で賄えない日本の持続性は?

 新型コロナウィルスの世界的流行で、今は全ての人が命を守るための活動を強いられていますが、命を育む農業は、今日も明日も耕し続け、食料を供給していかなければなりません。しかし、生産現場では、気候変動の影響が現実的なものとなり、高齢化の進行と農業生産者の減少が、日本農業の持続性を脅かす事態となっています。そもそもカロリーベースの食料自給率が37%(2020年)と極端に低い我が国は、世界最大の農産物純輸入国です。また、国産家畜の飼料穀物もほとんど輸入に依存しています。さらに、国内の農業生産を支える農業資材や肥料などの化学原料もそのほとんどを輸入に依存している状態です。このように、国民の食を自国で賄えない国家に持続的な発展はあるのでしょうか?

持続可能性と生産力向上の両立への大転換

 日本農業のこの危機的状況の打開策として農林水産省は、「みどりの食料システム戦略」を策定(2021年5月)しました。「将来にわたって食料の安定供給を図る」ために、「食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立をイノベーションで実現する」という農業政策です。背景にあるのは2020年10月26日、第203回臨時国会で菅総理大臣が「2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指す」と宣言し、それが「日本の新たな成長戦略であり、あらゆるリソースを最大限投入し、経済と環境の好循環を生み出す。」と政策発表したことです。そのため、日本農業の取り組みは「農林水産業のCO2ゼロエミッション化の実現へ」となり、政策実現の手段として、「低リスク農薬への転換や総合的病害虫・雑草管理(IPM)の確立」(つまりGAPの推進)が方向づけられています。2050年までの主な取り組みの達成目標は、、

  1. 化学農薬の使用量(リスク換算)を50%低減する。
  2. 化学肥料の使用量(輸入・化石燃料を原料)を30%低減する。
  3. 耕地面積に占める有機農業の割合を25%(100万ha)に拡大する。

ということで、これらの目標を達成するために以下の施策が示されています。

  1. 2030年までに施策の支援対象を持続可能な食料・農林水産業を行う者に集中する。
  2. 2040年までに補助事業をカーボンニュートラルに対応させ、環境負荷軽減メニューを充実しクロス・コンプライアンスとする。

世界のGAPステージ3

 2015年の国連サミットで提唱された持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)が世界の潮流となり農業分野での環境対策も強く求められるようになりましたが、今から40年前にも農業政策の世界的な大転換がありました。農業由来の環境汚染の認識と、その対策としての環境保全型農業、つまりGAP概念の誕生(世界のGAPステージ1)です。ステージ2でGAPは、経済活動としての評価制度、つまり農産物仕入基準としてのGAP認証制度として活用されました。世界のGAPはさらに進んで、2021年現在はGAPステージ3の段階を迎え【資料1】、米国やEUでは一層高いレベルの環境保全型農業とその国際標準化を推進し、自国農産物の輸出振興施策を始めています。

【資料1】 世界のGAPステージ  GAPを俯瞰すると見えてくる農業のあり方
GAPステージ ステージ1 1981-2000 GAP概念の誕生
自然・資源への汚染をなくす人と環境に優しい農業
ステージ2 2001-2020 農場保証の監査
グローバル経済で必要な農場保証(GAP認証)
ステージ3 2021-2040 覇権的食料システム
環境に優しく公平で健康的な食料システムの国際戦略
ステージ1の農業 「政策としての環境保全型農業」:農業由来の環境汚染を解消する"持続可能な農業"の政策。 市場経済では守られない公共財(水・土・空気)のメンテナンスをする農業者への補助金政策。 "GAP規範"に基づく持続可能な農業(GAP)を義務化した。
ステージ2の農業 「流通ビジネスとしての農場認証監査」:"GAP規準"による 第三者農場認証は、グローバルなサプライチェーンが要求する 農場監査(仕入基準)である。
ステージ3の農業 「持続可能な農業の国際戦略」:生産性向上と自然生態系の保全を両立させる農業を世界標準化し、貿易交渉でも要求する。
欧州の関連政策 ・余剰生産物の輸出補助金を価格支持から環境支払へ転換
・農業由来の環境汚染対策として、硝酸塩指令&植物保護指令で義務化
・農家が遵守すべき"GAP規範"
・直接支払、デカップリング
・包括的衛生規則(HACCP義務化)とそのトレーサビリティ義務化(輸入品も)
・EU民間農産物認証システム国際標準化
・EUグリ-ンディール
・ファームtoフォーク戦略
 →化学肥料・農薬・抗生剤の大幅削減
・EU持続可能な食料システムの国際標準化(FTAで要求)
日本の関連政策 ・環境保全型農業推進の表明
・特別栽培農産物表示ガイド
・有機農業推進法
・食料・農業・農村基本法
・日本型直接支払
・農業生産工程管理ガイド
・食品安全基本法
・五輪と日本発の農産物認証
・HACCP制度化
・みどりの食料システム戦略

引用:日本GAP規範第2版

 世界のGAPステージ3に対応する「みどりの食料システム戦略」は、新たな成長戦略として突然提言(2020年12月)され、5か月という短い期間で策定されました。イノベーションをキーワードに達成すべき目標は、米国やEUの農業・環境政策に足並みを合わせた内容になっています【資料2】。

【資料2】 主要国の農業・環境政策
EU Farm to Fork戦略(2020年5月)米国 農業イノベーションアジェンダ(2020年2月)
2030年までに
・化学農薬の使用及びリスクを50%削減
・肥料の使用を少なくとも20%削減
・家畜・養殖の抗菌剤販売の50%削減
・有機農業を少なくとも農地の25%達成
2050年までに
技術開発を主軸に以下の目標達成を設定
・農業生産量の40%増加
・環境フットプリント50%削減
・水への栄養流出30%削減

参照:農林水産省「みどりの食料システム戦略」関係資料

持続可能な農業(GAP)は国内農業の課題でありかつ国際問題である

 日本におけるGAP概念は、サプライチェーンの信頼確保のための食品衛生管理に重点が置かれています。先進諸国ではありえないことですが、日本では政府主導(オリンピック・パラリンピックの調達基準やASIAGAP民間認証等の推進)で、「2030年度までにほぼすべての産地で国際水準 GAP が実施されるよう、現場での効率的な指導方法の確立や産地単位での導入を推進する。」としています。農林水産省は「農業生産工程管理の共通基盤に関するガイドライン」を改定し、「国際水準GAPガイドライン(試行版)」として公開しました。ここでは、国際的に求められるGAPの取組み事項として、これまでの「a環境保全、b食品安全(衛生管理)、c労働安全」の他に「d人権保護、e農場経営管理」が加えられ、それぞれの根拠や参考となる法令・通知等が提示されています。

 一方、世界でビジネス展開するためには、持続性への配慮が欠かせなくなっているために、企業ではESG(Environment、Social、Governance)問題への取組みが必要だと言われています。農産物流通や農業分野も例外ではなくなります。GAPに加えて「取組み項目c、d、e、」にも対応することは、グローバルなサプライチェーンが要求する仕入要件として、例えばGLOBALG.A.P.認証では、GRASP(農場認証+Risk Assessment on Social Practice)として総合的な農場認証が監査基準に組み込まれ、マーケットに定着しています。

周回遅れの日本がとるべき道はGAP概念の理解

 そういう中で、オリパラ終了とコロナ禍の中で、多くの農業関係者が、「オリパラが終わったらGAPはどうなるの?」と一様に戸惑いの声を挙げています。戸惑いの多くは、「生産者はGAP認証を取得するのですか?関係者は農場認証の支援をするのですか?それとも適正農業であればよいということですか?」ということです。農林水産物・食品の輸出を2030年に5兆円に伸ばそうという新たな食料・農業・農村基本計画では、「輸出拡大を図る上では、国際的に通用するGAPの取得(正確には、農場認証の取得:筆者)を推進する必要がある」として、流通ビジネスとしての農場認証制度の利用を推奨していますから、それらの支援も必要な場面はあると思います。

 しかし、世界はすでにGAPステージ3の段階に入っています。このステージを「覇権的食料システム」と名付けたように、米国やEUは、農業由来の環境汚染を大幅に減らし、その農業実践規範及び評価規準を世界標準化することで、GAPの持続可能性という大義を、農産物貿易の障壁にしようとしています。「環境に優しく公平で健康的な食料システムの国際戦略」は、強国による農業への支配力が増大することで、世界のさらなる格差を生むことになるかもしれません。

 そういう状況を作り出さないための日本農業の「みどりの食料システム戦略」と考えたいです。それにしても達成目標である「①化学農薬の使用量50%減、②化学肥料の使用量30%減、③有機農業を耕地面積の25%に拡大」は、日本農業の現状からはかけ離れた数値です。世界の動向や米・欧との対抗上やむを得ない政策目標なのでしょうが、日本農業にはそれらを実現するだけの体力や気力ができていません。それは、日本農業が世界のGAPステージ1の経験を持っていないことが大きな原因です。

 農業由来の環境汚染を強く認識した欧州各国は、40年前に「自然・資源への汚染をなくす人と環境に優しい農業」というGAP概念を産み出し、政策としての環境保全型農業を定着させました。貿易の自由化を促進したGATT(関税及び貿易に関する一般協定)ウルグアイラウンドの最終段階(1992年)で、国内農業の保護政策として、「食糧備蓄、環境保全、災害対策、開発研究、基盤整備、生産と直接結びつかない価格支持などの"緑の政策"」が認められたことから、EUの共通農業政策は、農産物価格支持政策から農業環境政策に移行しました。そして、条件不利地域や農業の環境保全機能への補助金支払いシステムに「デカップリング政策」を採用し、直接支払いと環境基準遵守の結合を図る「クロス・コンプライアンス」施策を導入したのです。

EUの持続可能な農業のための農業規則

 日本農業の現状からは、かけ離れた達成目標となった「みどりの食料システム戦略」に関して、どのような農業規制が行われるのかは重要な問題です。世界のGAPステージ1でEUの窒素コントロール等の養分管理規則と、それに該当する日本の養分管理規則の対比表【資料3】を見ると、日欧の違いは一目瞭然です。これらの農業・環境政策とその遵守を経験してからの、ステージ2であり、ステージ3への移行であるという事実を認識して、日本の農業政策大転換に取組むことが必要ではないでしょうか。

【資料3】 養分管理規則に関する日本とEUの比較
GAPの課題EUの対応日本の対応
硝酸脆弱地域の指定硝酸汚染ないし富栄養化したか、その危険のある地下水と表流水の集水域を硝酸脆弱地帯に指定(全土指定でも良い)。地帯内では行動計画が義務。水系の硝酸性窒素濃度は環境基準や水道法で10mg/L以下。ただし、硝酸汚染地域の指定はない。しかし、公共水道源の地下水源が汚染されている場合は事実上の指定。
適正農業規範
(GAP規範)
硝酸脆弱地帯外の農業者が自主的に守るべきもの。農業生産と環境保全の両面から法律や技術書に具体的に詳しく記述。補助金支給にはGAP規範の遵守が最低条件「農業生産活動規範」。ただし、7項目のみで、記述に具体性がない。複数項目一括してチェックしたか否かだけを記録。補助金需給には規範順守が条件だが、現実的意味はない。
家畜飼養密度/家畜糞尿還元量の上限家畜糞尿で170KgN/haを上限。これを超える家畜糞尿は自作地に還元禁止、必要なら家畜頭羽数の削減。制限なし。
家畜糞尿・肥料の施用時期・場所の制限表面流去や地下浸透による水系汚染の危険の高い時期や場所へ使用を禁止。野積み、素掘り投棄でなく、悪臭を出さなければ、どこの農地へもいつでも施用可能。
施肥基準の位置づけと養分施用の上限量施肥基準に従い、作物への可給態窒素教協量が作物の窒素要求量を超えないこと。農業補助金を受けるには施肥基準やGAP規範を守ることが必要なので、事実上法的拘束力を持つ。施肥基準は普及員が農業者を指導する際のガイドライン(法的拘束力無し)。施用上限量なし。多くの施肥基準は堆肥を土壌物理性改良資材とみなし、施肥からの養分供給量を無視。
土壌や資材からの可給態養分供給量の計算方式GAP規範や施肥基準の中で、土壌、家畜糞尿・堆肥・肥料からの可給態養分の計算方法を農業者に解説。農林水産省が家畜糞尿・堆肥からの可給態養分量を計算して化学肥料の減肥方法の明確化を指示。未実施の地方自治体が少なくない。特殊肥料の品質表示に可給態窒素供給量が記述されず。通常の土壌診断では地力窒素供給量は分析されず。

西尾道徳「甘い日本の農地への養分投入規制」環境保全型農業レポート145/2010年1月31日

 【資料3】は「硝酸指令(1991年)」に関する規則ですが、この他にEUの農業者は、「植物保護指令(1991年)」、「水枠組み指令(2000年)」等の諸規則も遵守して自分の農場のGAP(持続可能な農業)を実現し、結果として補助金を獲得しています。

 これらのクロス・コンプライアンス政策の国民的な理解は、EUの持続可能な農業政策は、「市場経済では守られない公共財(水・土・空気)のメンテナンスをする農業者への補助金政策(グリーニング政策)」であるという説明によるものです。

EU硝酸塩指令とGAP規範

【資料4】EUの持続可能な農業と硝酸塩指令

参照:EU委員会ホームページより

 硝酸脆弱地域の指定は、EU加盟国の農地の約61%(EU硝酸塩指令第6回実施報告書,2015年)を占めています。脆弱地域に指定された地域は法令による義務化ですから、加盟各国は、自国農業に相応しい「GAP規範」を策定し、また、水質モニタリングを実施して【資料4】、4年ごとにEU委員会に報告することになっています。中には実施状況が不十分で、硝酸塩指令違反としてEU委員会からヨーロッパ司法裁判所に訴えられた国もあるということです。

 GAPステージ1以降、EUの農業に課された環境保全と公衆衛生に関する規則(法規制)は、農業者にとって、それ以前とは比べものにならないほどの厳しさだったと思います。しかし、EU加盟各国が発行している『適正農業規範(Code of Good Agricultural Practice)(GAP規範)』やその『農場管理実践ガイド(Practical Guide)』によってサポートしてきました。

 GAP規範には、「なぜ農業が原因で環境汚染が起こるのか?その汚染の原因と結果について解説し、その問題を解決するための行動規範(Good Practices)」が書かれています【資料4】。GAP規範はすべての農業者の必携の書です。従ってEUの農業者は、環境保全型農業という農業政策によってGAPがマナーとなり、その結果、流通ビジネスとしての総合的な農場認証監査は難なくクリアできたものと思われます。

GAPステージ3では原点に戻って農業のゴールを目指す

 こうしてGAPステージ1と2を経験したEUの農業者ですから、ゼロエミッションをベースとする「EUグリーンディール」の一環で実施される「ファームtoフォーク戦略」の農薬、肥料、抗菌剤、有機農業問題(GAPステージ3)も解決していくと思われます。

 世界のGAPステージ1を経験していない日本が学ぶべきは、持続可能な農業のために必要な、日本に相応しい農業規則の策定と、その規則を遵守して持続可能な農業を実現するための農業技術の開発と実行の指導です。そのためには、「みどりの食料システム戦略」を実効性のあるものにして、農業の道しるべ(GAPの拠り所)としての『適正農業規範(Code of Good Agricultural Practice)』(GAP規範)を策定することです。そして、その規範に基づいて、期待される農業のゴールを目指すことが必要です。

「日本GAP規範第2版」は、世界のGAPステージ3に対応する

 2021年9月15日に発行された「日本GAP規範第2版」は、世界のGAPステージ3を想定して刊行されました。この『日本GAP規範第2版』の内容を理解し、それぞれの農場の問題点を発見することによって、多くの場合、何らかの改善を期待することができます。適正農業管理(GAP)のコントロール(統制・調整)が良好であるということは、農業経営者としての社会的責任の表現として販売先や消費者からの信頼につながり、地域農業の発展に、やがては日本の持続可能な発展に貢献することにつながります。

 このGAP規範は、読者である農業生産者やGAP指導者、農政に携わる人達に、適正農業管理(GAP)の理念や技術を伝えるとともに、生産現場において不適切な行為を見つけたときに、それをどのように改善したら良いのかというヒントや具体的な情報を提供することを主眼において書かれています。また、農業生産者が取り組むGAPを消費者にも理解して貰うための資料としても利用できます。このようなことから、この『日本GAP規範』の内容は、これから期待される日本農業の全体像を意識した「日本農業の指針」として活用できるようになっています。

GAP普及ニュースNo.67 2021/10