-日本に相応しいGAP規範の構築とGAP普及のために-

『GAP普及ニュース 巻頭言集』

 普及ニュースに掲載された、有識者による巻頭言。

GAPで周回遅れの日本農業の生残りを考える
世界のGAPステージ3に日本が取り組むためには

GAP普及ニュース68号(2022/01)掲載

田上隆一
 一般社団法人日本生産者GAP協会 理事長

プラネタリー・バウンダリー(地球の限界)とGAPとの関係

 地球の循環システムを維持できなくなる不可逆的な限界点を定量化した「プラネタリー・バウンダリー(地球の限界)2015」の指針では、「窒素」と「リン」が、地球上で人間が安全に生存できる限界を超えてしまったと紹介されています[図1]。

 窒素とリンは農業(生物)にとって必須の元素ですが、生物が必要とする以上に使用すると環境中に流出することになり、さまざまな環境問題を引き起こします。窒素は環境中の変化で一酸化二窒素(N2O)を排出して温暖化を引き起こし、河川・湖沼に硝酸性窒素として流れ出して富栄養化や貧酸素水塊をつくってしまいます。また、土壌汚染や大気汚染につながる物質も出すため、生物多様性にも影響を与えてしまいます。これらに対処することがGAPであり、GAP理念そのものです。

【図1】プラネタリー・バウンダリー(地球限界)

持続可能な開発目標SDGsとGAPとの関係

 プラネタリー・バウンダリーの理論は、2015年の国連サミットで採択された「持続可能な開発目標SDGs(Sustainable Development Goals)」にも影響を与えたと言われています。2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標として、地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことに、わが国の政府も「SDGs履行に関する自発的国家レビュー、2021」を発表するなど、積極的に取り組んでいます。

 地球環境に関する様々な研究やそれらに基づく多くの社会活動によって、2020年代に入った現在、世界の行動規範は、持続可能性への取組みへと大きく変化しています。ビジネスの世界でもSDGsは必須となったようで、大手企業が実施する大規模プロジェクトだけでなく、身近な企業や生活環境においても取り組みに注目が集まっています。

 ところで、農業分野では、SDGsに先駆けて1980年代から、欧州でGAP概念が誕生しました。行政が持続可能な農業の達成目標を定め、行動規範(GAP規範)を策定し、補助金政策を使って推進することで、多くの農業者は適正農業規範(GAP規範)を遵守し、持続可能な農業を実施してきました。

【図2】 SDGs 17のゴール

GAPはSDGs(持続可能な開発目標)そのもの

GAP規範で示されている目標、例えば「窒素やリンを削減しましょう」などは、SDGsの中には書かれていません。プラネタリー・バウンダリーの理論によれば、窒素とリンは、すでに人間が安全に生存できる限界を超えてしまったのだから、今さら取り組んでも地球の持続性は保たれないとでもいうのでしょうか。

 そうではなく、窒素やリンの削減という目標は、その他のすべて(17)の目標に間接的に関連していると考えれば辻褄が合います。窒素やリンの削減というGAPの目標が達成されずに、地球環境の高リスクな状態が続いていることになると、地球循環の基盤が破綻するということですから、持続可能な開発目標SDGs自体が意味のないものになってしまうからです。

 従って、窒素やリンの循環を持続可能な範囲に収めるには、肥料投入量の最適化、耕起や潅漑といった管理方法の改善など、農業分野でのGAPが絶対的に必要なのです。

世界のGAPステージ1・2・3の特徴

 20世紀後半からの農業の近代化は農産物生産の飛躍的発展をもたらしましたが、反面、農業による自然破壊や資源枯渇および衛生リスクの増大など、「負の外部経済効果(外部不経済:市場を通して行われる経済活動の外側で発生する不利益)」が発生しました。これらを回復することを目的に、欧州を中心に1980年代に「GAP(適正農業管理)」という新たな農業の価値観が生み出されたのです。

 外部不経済を起こさないための行為(Good Practices)を特定して行動規範(Code of Practice)としたのが、適正農業規範(Code of Good Agricultural Practice)(GAP規範)です。GAP規範を示すことで持続可能な農業を奨励してきた政策の時代(1981年~2000年)が「GAPステージ1」、農産物のグローバルなサプライチェーンが取引先の農場が信頼できる(GAPである)かどうかを農場監査で証明した時代(2001年から2020年)が「GAPステージ2」です[表1]。

 2021年から始まった「GAPステージ3」の特徴は、EU共通農業政策「欧州グリ-ンディール」の中心課題である「ファーム・トゥ・フォーク戦略(Farm to Fork Strategy:F2F戦略)」によって特徴づけられます。

 EUは、F2F戦略の中で2030年までの具体的な数値目標として、
 ①農薬の使用及びリスクを50%減少させる。
 ②肥料の使用を少なくとも20%減少させる。
 ③家畜及び養殖に使用される抗菌剤販売量を50%減少させる。
 ④有機農業を少なくとも農地面積の25%まで引き上げる、等を掲げています。

 そして、これらのEU規則を世界標準にすることで、貿易交渉を通じて相手国にそのルールを輸出することを狙っていると言われています。

【表1】 世界のGAPステージ
GAPステージ ステージ1
GAP概念の誕生
ステージ2
農場保証の監査
ステージ3
覇権的食料システム
年代 1981-2000 2001-2020 2021-2040
特徴 自然資源への汚染をなくす人と環境にやさしい農業(GAP規範) グローバル経済で必要な農場の安全保証(GAP認証) 環境に優しく公平で健康的な食料システム(国際戦略としての農業規範)
GAPの意味 「政策としての環境保全型農業」。GAPは「持続可能な農業のための適正農業管理」である 「流通ビジネスとしての農場認証監査」。GAPがグローバルなサプライチェーンの農場監査の要件になった 「国際戦略としての持続可能な農業」。生産性向上と自然生態系保全を両立させる農業を貿易の条件とする
欧州の
政策
価格支持から環境支払へ
硝酸塩指令
植物保護指令
適正農業規範(GAP規範)
直接支払、デカップリング
包括的衛生規則(HACCP義務化)(Traceability)含輸入品・EU民間農産物認証システムの国際標準化
ファーム・トゥ・フォーク戦略、化学肥料・農薬・抗生剤の大幅削減
EU持続可能な食料システムの国際標準化
2030年までの具体的な数値目標
①、②、③、④
日本の
取組み
特別栽培農産物表示
食料・農業・農村基本法
食品安全GAP(ジーエーピー)
有機農業推進法
日本型直接支払制度
東京五輪GAP認証調達
・HACCP制度化
・みどりの食料システム戦略
2050年までのKPI ①、②、③、④

GAPやGAP認証は、単なる形ではなく本質的な内容を欧州から学ぶべき

 世界のGAPステージ [表1]から見える日本農業のGAP不振の最大の原因は、端的に言うと、「日本の農業は、GAPステージ1を経ていない」からです。その結果日本には、「GAPは持続可能な農業を推進するための主体的取組みという政策である」という概念が根付いていません。あるのはGAPではなく、民間企業が行う農場評価(GAP認証)に関する対策ばかりです。

 そして、皮肉なことに世界のGAPステージ2の農場保証制度(GAP認証)自体が、日本の農産物流通業界には定着していません。一部の大手企業を除くと、「GAP認証は農業の社会的責任の説明である」という位置づけが農産物サプライヤー企業に浸透していないのです。

 国境や社会の枠組みを超えて一体化されるグローバル化は、欧米主導によるものが多く、それらに倣うためにいち早く制度やシステムを導入することが行われてきましたが、自然環境や人間社会のあり様が深く関係する事柄に関しては倣う(導入する)側の様々な課題の解決が必要になります。GAPやGAP認証は、日本農業特有の自然的・社会的環境の問題、経営体の問題やそれに伴う農産物流通上の問題、および輸入農産物が圧倒的に多い我が国の食料産業の事情などが深く関わっているものと思われます。世界的な食料、農業、環境に対する価値観の変化やそれに伴う社会制度の変化に対して、形だけ真似て内容が伴わない国際化、ではなく、事柄の本質を理解して、新しい価値観が目指す内容(形ではなく)を、社会的に実現していくという姿勢が必要です。

 特に、農業生産段階の、マーケットにおける信頼性を確保するための「農場評価制度」は、既存のGAP認証に限らず、日本の実情にふさわしい形で構築しなければなりません。世界のGAPステージから周回遅れの日本農業のこれからの生残りを考えると、形だけの欧米化ではない、日本の実情を考慮した「生産者と消費者とを結ぶ信頼の懸け橋」としての農場評価制度を築いて行くことが必要です。世界のGAPステージで成立しなかった日本の農産物流通社会においては、「マーケットにおける信頼性を確保するため」の「新たな農場評価制度」の創造と考えたほうが良いでしょう。

GAP普及ニュースNo.68 2022/1