『日本と欧州のGAP比較とGAPの意味』
田上隆一 ㈱AGIC(エイジック)
目次
- はじめに
- 欧州のGAPの歴史を見る
- 生産者必携のイギリス版GAP 規範
- EU硝酸指令(676/91)と日本のGAP規準
- 環境便益(環境や景観に対する明らかな便益)とは
- 欧州の品質適合とGAP認証の変遷
- 欧州の小売企業が期待する農業(GAP 規範)と評価基準
- 目的が異なる民間による2つの農場認証制度
- 農業由来の環境汚染対策としての欧州GAPと食品安全に偏る日本GAP
- 名目はGAPの世界規準であるが、食品安全の問題にすり替え環境問題を骨抜きにしたJGAP規準
- ビジネスモデルとしてのGAPによる農場認証制度EUREPGAP(GLOBALGAP)の普及
- スーパー業界が作った農場認証のためのEUREP議定書(protocol)
- GAP 規範を前提にした農場認証のためのEUREP 議定書(protocol)
- 環境保全が目的の欧州GAPを「食品安全GAP」としたための矛盾
- EUの農業政策であるGAP規範が民間GAP認証で農産物輸入の条件になる
- 欧州のGAP指導者養成
- EU の持続的農業のためのGAP と日本の食品安全GAP
- 日本では食品安全のためにGAPが推進された
- 要求者によって異なるGAPの意味と農場認証制度
- 食品安全に偏向する日本のGAPと欧州の普及員が行う営農指導GAP
- 正しいGAPの理解と地域の農業政策
- 日欧のGAPの比較とGAPの意味するもの
はじめに
日本ではGAPについての考え方がまちまちで、少々混乱しているようです。少なくとも先進国では、持続的で安心できる社会が求められ、自然環境に深く関わる農業の問題点が指摘され、国の重要な農業政策になっているにも関わらず、日本においてGAPの意味が正しく理解されていないとすれば、農業関係者だけではなく、日本国民にとっても不幸なことです。
GAPは、農業そのものの本質的な課題であるにもかかわらず、GAPの意味を議論することもなく、単なるビジネス・ツールや、経営管理の手法であるという捕らえ方しかしていないことに問題があるのではないでしょうか。
そこで、GAPの概念が生まれた欧州で、「なぜGAPが生まれたのか、その中身は何なのか」ということを、もう一度しっかりと捉えてみたいと思います。欧州におけるGAPの歴史に学ぶことによって、その本質を見つけることが出来れば、日本のGAPについての混乱が解消され、日本の農業が目指すべき方向であるGood Agricultureが見えてくると思います。この連載では、日本と欧州を比較しながらGAPの意味を考えていきます。
GAPへの充分な理解がないと混乱します
「決められた基準を守る農業」がGAPと言われる場合もあるし、「それぞれの地方で、それぞれのGAPがあるから困る」と言う人もいます。いろいろな農業があると、それぞれの農業がどうなのかを見比べられるモノサシが必要になります。そのモノサシはチェックリストという形で具体化してきていますが、そのチェックリストをGAPと呼ぶ人もいます。「GAPは消費者に安全な農産物を供給するための管理方式であり、農産物を有利に販売するための差別化戦略だよ」とか、「GAPは生産者の行為であり、生産者がやることなのだから、農家がちゃんとやっているかどうか、つまり、農家がGAPなのか、そうではないのか、という意味だよ」と解釈が様々に分かれています。
GAPの概念規定
先ず初めに、そういう様々な解釈を整理して見たいと思います。
GAPを説明するためにGAPという言葉を使っていますと、更に混乱することになりますので、GAPに関する言葉の意味と「概念」について話しておきます。GAPの概念を共通にしないと、話の内容が正確に伝わらないことになるからです。
表を見てください。日本で、はじめにGAPを紹介した人は「適正農業規範」と訳していました。この英語は、Code of Good Agricultural Practiceと表現してあったからでしょう。その後、英語のCode ofを外したGAPだけを適正農業規範と言ってしまったところに、GAPの言葉の概念が見えなくなってしまった原因があると思います。英語では、Code of GAP のことをCoGAPと表現してGAPと区別していますが、GAPは生産者が行うべき適切な(Good)農業の(Agricultural)行為(Practice)であり、その行為の在り方が、「どうあるべきか、こうであれば適正です」という法典(Code)がCoGAPです。これを日本語にすれば「適正農業実施規範」であろうと思います。
ここで、「適正である」ということの考え方ですが、農業は人間の生命の元になる食料を作り出します。この食料を得る「あり方の本質がどうなのか、どうあるべきなのか」ということを考えていくことが必要であろうと思います。その際に、「適正の考え方」がどうなっているのか、あるいは「適正の水準」がどの程度なのか、などを考慮しないと議論で来ません。
「適正な農業」に対する考え方は、人それぞれにより、農業技術の進化により、その時代の価値観などにより、当然異なっていると思います。このような多様な視点を統一的に見るためには、一定のモノサシを持たなければなりません。これを私は、「適正農業規準」を呼ぶことにしました。この場合の「キジュン」の漢字は、「標準的な」とか、「比較して」などの「基準」ではなく、具体的な項目を持つ意味で「規準」としました。
これは、まさに「モノサシ」であり、ある生産者が「適正農業規範」に従っているかを見定めるためのレベルであるという風に考えれば良いと思います。これが、チェックリストという形で実現されているのです。すなわち、「適正農業規準は、適正農業規範の評価規準としてまとめられたもの」ということです。
一般的には、このチェックリストがどのような内容なのかによってGAPが規定されているようですが、GAP規準は、要求側の考え方によっていかようにでも出来るものです。そのために、当然、様々な規準があるということです。
2004年頃に農林水産省で議論したことは、「農業は地域によってそれぞれ違う、気象環境や土壌・地形の違い、社会環境の違いなどによって、農業の実態が当然異なってくる。従って、地域によってそれぞれのGAPを作るべきである」ということでした。生産された農産物が、いずれも「期待される通りの安全なものである」というためには、生産環境が異なるところでは、「それに相応しい農業のやり方をしなければならない」ということです。そういう意味では、「それぞれの地域で異なるGAP規準を作るべきである」ということになります。
そして、GAPそのものの意味は、「適正な農業を行うこと、まともな農業のやり方」というようなことですが、農業の実践を確立していくためには「管理」が必要ですので、「実践を計画的・継続的に管理すること」という意味を含めて「適正農業管理」という言葉にしました。まさに、生産者が行う農業活動、その行為そのもののことであります。
GAPの実践規定
上に述べたGAPに関する3つの概念によりGAPを推進していきますが、例えば、この3つの概念でそれぞれの内容を提案して、「さぁどうぞ、GAPを実施して下さい」といったらどうなるでしょうか。物事を認識するには、認識する主体と、認識される客体とがあります。例えばGAP規準は客体であり、人間が認識の主体です。チェックリストを渡されても、それを認識する主体側には様々な考え方があります。認識する主体側の考え方が違っていて、それぞれの主体がばらばらのままでは、共通のGAP理解は生まれません。規準に書かれた内容は一つでも、それを見て理解する人の認識が異なっていれば、期待される農業の行為、つまりGAPは一つのものにはならないでしょう。インプットが一緒でも、アウトプットが違うものになってしまいます。それぞれが違うことをしていたのでは、本物のGAPにはなりません。農業実践の形態を明らかにしないでGAP規準のチェックリストをただ農家に渡すだけでは、農業の実践に役に立つGAPは不可能です。
一般に農業は、生産を計画し、種子や肥料・農薬などの資材を購入し、作付け、栽培・管理、収穫して商品化しますが、その生産単位として農協に集まり、または任意に組合を結成し、グループとして販売商品のロットを作って販売する形で経営が行われています。その場合、一軒一軒の農家は「独立」していますが、農産物の生産・販売の経営体としては、一軒一軒の農家は「自立していない」場合が多いといえます。商品を同一ブランドとして一体的に販売することになれば、それは恰もグループ全体が一つの企業のように動いていると取引相手からは見えますし、グループはそのような機能を持っています。いわばバーチャルコーポレーションとしての農業経営が行われているのです。
農協などの部会や組合がバーチャルコーポレーションであると仮定すると、その中では、適切な農業管理が統一的に行われなければなりません。そういう意味から、農場管理システムがなければGAPは達成されません。従って、GAPを実践するためにはGAPの実践を管理する仕組みである「農場管理システム」が必要になり、管理の質が問われることになります。これは、部会運営の実践の場で行うことであり、組織管理の枠組であり、管理の具体的手法ですが、そのために行うべき具体的項目として、組織運営の規則、ルール作りが必要になり、それぞれの組織の質を高めるための日々の工夫が必要になります。
例えば、生産部会として、「この品種をこれだけ作って、この時期に販売する」ということになれば、「品質確保のための土作りや肥培管理、農薬使用やそれらの手順はこうだ」などの具体的な手順を示さなければなりません。これを「農場管理規則」と名付けています。これが、マニュアルや手順書などのドキュメントになっていなければなりません。これがなければ農場管理システムはうまく動きません。
これらの手順書を部会のメンバーがしっかりと理解し、了解して実践すれば、農業が適正に行われ、それがGAP(適正農業管理)そのものであり、この一連の取組みがGAPの実践ということです。これを組織で行うわけですが、組織ですから、メンバー個々の行為を確認することが必要になります。出来たかどうかを確認するのですが、それが「農場監査」が必要になる理由です。「GAPで監査は要らない」という意見もありますが、実行した結果を検証しなければ、適切な管理にはなりません。行為を計画し、実行し、検証し、結果を反映させるという「経営管理サイクルPDCAのCのこと」です。
農林水産省のGAPの説明では、生産者自身がPDCAサイクルを行うことになっていますが、そのサイクルは組織として農場管理システムの運用として回っていかなければ、明確な効果はでません。チェックリストだけを渡して、農家に「自分で計画し、自分で実行し、自分でチェックしなさい」というのでは、現実の農業経営管理にはならないのです。
欧州のGAPの歴史を見る
欧州では、第一次・第二次大戦という不毛な戦争を続けてきた歴史の反省に立って、第二次大戦後、EUとしての大連合を進めてきました。
国の柱である農業も、共通政策としてEUの最重要課題の一つでした。EU共通農業政策(CAP)の歴史的変化を見てみますと、60年代は、農産物の価格支持政策と農業の構造政策が中心であり、単一市場、共同体特恵、財政連帯性の三原則が推進されました。
同じ時期、日本も戦後の混乱期ではそうでしたが、食糧不足や国内生産力の不足などを解消すべく、効率的な農業により生産性の向上を目指してきた「効率主義」の時代でした。
欧州では、これらの農業政策を進めていく中で、各国各地域によって違いがあるために、70年代には、それぞれの地域にふさわしい政策を行うという「地域主義」になってきました。70年代のはじめ(1971年)、ドイツでは「環境保護計画」と「環境教育計画」という2つの環境関係の画期的な通達が出され、これによってドイツ国民の環境に対する意識が大きく変わりました。
農業の「近代化指令」により改革を進めていく中でも、山間地域や条件不利地域の問題をどうするか、また、規模拡大や集約的農業により起こる環境破壊をどうするかなど、地域によって異なる課題を抱えています。そこで、地域格差が出てきた農業問題については、EUとしての統一的な考え方が求められるようになり、地域に合わせた政策転換が必要な時代になりました。
80年代になると、EUの課題はさらに進んで、「農業における環境問題は、地域的課題ではなく、地球的課題である」ということになり、環境支払による生態系の保護、環境脆弱地域への援助規則の制定など、EUとして環境問題に取り組む様々な法令が登場してきました。とりわけ、貿易交渉のウルグアイラウンドが始まると、経済の効率主義や地域主義では、国際的な貿易構造が成り立たなくなってきました。この段階で見直されたのが農業管理の基本となるGAP 規範(Code of GAP)の政策的な考え方です。
すでにイギリスやドイツなどでは70年代から、農業由来の環境汚染についての対策としてGAP規範が重要視されていましたので、それらがいよいよEU全体の重要課題として取り組まれることになりました。多くの国で環境の脆弱地域を指定してGAP規範を遵守する政策が始まりました。その意味で、80年代は「環境主義」の時代と呼べるかもしれません。
貿易交渉は1993年に決着を見ていますが、それに至るために、EUの通称「マクシャリー改革」といわれる共通農業政策(CAP)改革が行われています。マクシャリー改革は、1993~1995年に実施されたもので、この改革による域内の共通価格の引下げや農地の休耕は、生産調整や環境保全の目的を持つ反面、農家の所得を引き下げるので、農家に対する新たな所得支援策として直接支払いが導入されました。
1992年に「硝酸指令」と「作物保護指令」が、イギリスだけの問題ではなくEU全体に公布されました。「硝酸指令」は、家畜糞尿や化学肥料の窒素成分が、地下水や湖沼、河川を汚染することを防止するためです。また、「作物保護指令」は、化学合成農薬の多投による農場の汚染を防止することです。これらが、近代農業における解決しなければならない重要課題とされたのです。
1993年には「環境保護・景観維持と両立する農業生産方法に関する規則」が制定されました。特徴的なのは、1999年に営農指導補償基金による農村開発への助成規則が作られてGAPが促進されています。そして同年に、直接支払いスキームに関する共通規則が制定され、クロスコンプライアンスでGAP規準が義務付けられました。
このようにEUでは、農業による環境汚染の問題が、加盟国間の国際的な課題となり、さらに貿易交渉における政治的対策としても取り組まれてきたのです。このように90年代は共通農業政策(CAP)の特徴的な時代として「適正農業規範の時代」と言えるかもしれません。農業政策としても、ただ単に貿易交渉上の対策や農家補償の政治決着ということではなく、「営農指導補償基金による農村開発への助成規則」は、GAPの導入に後発の加盟国にとっては、事実上のGAP普及の決定打になっていると思います。EUの農業予算により給料の半分を負担する「農業技術員制度」が作られ、日常的にGAPの指導が行われています。
環境保護を法制化し、「GAP規範」として農業のあるべき姿を明示しても、それだけでは適正農業管理(GAP)は実現しないので、そこでGAPの普及指導の体制を作って、目指すべき欧州農業に近づけていこうとしたのだと考えられます。そして何よりも、生産者に対してのインセンティブとしての「環境支払」があるのです。減農薬、減化学肥料、粗放農業、自然・資源の環境保護、景観維持、休耕義務とその環境保全、生物多様性の促進などに関する「GAP規範」を法律で明らかにし、それらの実施の見返りとして直接支払いによる農家補助金が交付されるわけです。90年代は正にGAPの時代だったといえます。
21世紀を迎えて、共通農業政策(CAP)は大きく変わってきました。2003年のCAPの中間見直しでは、「GAPはやって当たり前の時代になった」と言っています。GAPの法令違反者を罰することはあっても、GAPをやったから、つまり法令を守ったからといって農家補助をするということがなくなったのです。その背景には、EU加盟国がどんどん増えて、特に後発のEU加盟国は農業国が多いことなどもあって、EUの財政が持たなくなってきたということが背景にあったのだと思います。2003年の改革では、GAP規範に、環境保護のほかに、食品安全、人と動物の福祉、環境への便益が加わりました。今までのGAP概念の「農業がもたらす環境への負荷を少なくするか、限りなくゼロにする」というだけでは、私達の環境が持たなくなったということです。「環境負荷をゼロにする」ではなく、「環境にとってプラスのことを奨励する」時代になったのです。「ゼロは当たり前で、プラスを奨励する」というわけです。2003年の改革で、今までのGAP規範以上のことをすれば農家保障をするという政策が始まり、2005年からは、全ての加盟国が、GAP以上のGAP規範(環境や景観に対する明らかな便益)を規定し、これを実行することが、直接支払いの受給要件になったのです。
日本では、「欧州では2005年からGAPが義務化された」、「GAPをやっていないと商人が買わなくなった」と言われたことがありますが、それは、政策上のGAPと商業的GAPの区別を理解していない人の発言だと思います。政策としてのGAPは、いわば適法農業ですから、正に生産者として当然のことになったのです。公害に対する企業責任と同じように、農業による環境汚染に対する責任も「汚染者負担の原則」に立とうという考え方です。自分が環境や人に汚染を起こさないことは当然のことですから、「そのことに対して補助金を交付することはしない」ということです。ここでは、「GAPは農業者としての最低限のマナーである」と表現しています。従って、農業の政策として「GAPをやっていない人には補助金を支払わない」ということになってきたのです。
この2005年からの政策に呼応するように、EUREPGAPなどは、国が規定している農業者の義務を守らない人がいれば、「そういう生産者とは取引きできない」という方針を出したのです。欧州では、商人がそう言ってもおかしくない時代が2005年にやってきたということです。しかし、そうはいっても、欧州でも家族経営型の多くの農業者がそう簡単にGAPを実践できるわけではありません。そこで、1999年に作られた補助金体制の中で、農業技術助言システムが作られました。スペインなどでは農業技術指導員制度で、個別農家の一人一人が公認の技術員によって、しっかりとサポートされる仕組みが始まりました。その他の国でも、農薬の使用などについて公的な指導員の指導を受けなければならないという制度になっています。
ここでは、GAP規範が守られれば良いということではありません。技術員による指導の具体的な内容は、「GAP以上」の要件になっているのです。環境負荷を「ゼロ」ではなく、「プラス」にしていく「GAP以上」とはどのようなものを指すのでしょうか。ドイツなどでは「有機農業」がそれに当たるといわれているようです。しかし、現実の農業生産と農業経営を考えると、GAP以上が有機農業では、幅がありすぎて現実的ではないという考え方があり、フランスでは、合理的農業、スイスやスペイン、オーストリアなどでは統合化農業がそれに当たるといっています。EUでは、それらの「GAP以上」に対して補助金を出しているのです。
この流れで時代を特徴付けてみれば、2000年代は、「食品安全と多面的農業機能の時代」であるといえるかもしれません。
このようなEUのGAPの歴史を支えてきたのは、「欧州農業はどうあるべきか」、「そのために農業政策として何をすべきか」という真摯な考えと、その時代時代の要請に対する取組みの姿勢であったと思います。現代農業が抱えるマイナスの要因に気付いたときに「GAP規範」の概念が生まれ、70年代の「地域主義」、80年代の「環境主義」、90年代の国際的な農業政策論の中で、あるべき農業の姿としての「GAP規範」と、農場を評価する「GAP規準」は、様々に変化してきたといえます。
生産者必携のイギリス版GAP規範
1999年から青森のりんごをイギリスに輸出していた片山さんが、EUの時代の変化の中でGAPの第三者認証を求められました。そこで、私は片山さんとともに2003年にイギリスの果実卸売商のEWT社を訪ねました。その際にイギリスでは、「GAP規範の遵守が義務化されていますので、イギリスにりんごを販売するなら、同じようにこの規範を守って生産して下さい」と渡されたのが、「水」、「土」、「空気」についての「安全管理のためのGAP規範」(1998)という3冊の本でした。水質保全のためのGAP、土壌保全のためのGAP、農薬適正使用のためのGAPという3分冊で、「条件はこれがすべてです」と言われました。
日本の農林水産省は、2005年からGAPを「食品安全のためのGAP」と限定して政策を進めて来ました。最近(2007年以降)のGAP推進では、GAPを「農業生産工程管理手法」と名付けて、その目的として「食品安全」の他に「作業者の健康や環境保全も考慮」していると言っていますが、欧州のGAPの概念とは随分違っています。あとで述べますが、日本では、イギリスのGAP規範などを前提にして商業利用されているEUREPGAP(現在のGLOBALGAP)認証制度を世界の標準と考え、そのGAP規準をモデルとしているためにこのようなずれが起こっているのだと思います。
この3分冊はイングランドの政府が発行しています。テスコなどのスーパーマーケットが作っているGAP規準を見ると、「イングランド政府発行のGAP規範やウェールズ政府発行のGAP規範に従いなさい」と書かれています。EUでは、GAP規範に関して、法令でその方針と枠組みを決めており、具体的なGAP規範は、加盟各国の地方政府が作成することになっています。もちろん、国全体のことは中央政府が行い、地方政府が権限を持っている事柄については、地方政府が行うということになっているようです。スペインのように、農業問題の具体的な法令は17ある地方政府が行っているような国では、GAP規範は地方政府が作成し、それに従って農業を指導します。
私が貰ってきたイングランドの1998年版の3分冊のGAP規範は、2009年1月に改定され1冊の本になりました。最新版のGAP規範の発行に当たって、イギリスの環境・食糧・農村地域省の大臣は、GAP規範の発行に関してインターネットでこのように発言しています。「GAP規範は、農業者がやさしく簡単に法令を解釈でき、農業と環境への汚染を避ける効果的な措置をとるのに役立つものです」と。
日本にGAP規範はあるか?
GAP規範では、農業生産の各局面において、作業は技術的にこうでなくてはならない、あるいはこうであってはいけない、ということについて具体的に細かく記述されています。そして、そのことについての法的裏づけや農学的な根拠などが書かれています。いわばこれが、地域農業における「GAPの法典」なのです。ここに根拠があるからこそ、実務の現場や、農産物を購入しようとする小売店などが、現場を評価するモノサシとしてGAP規準(チェックリスト)を作ることが出来るのです。
残念ながら、現在の日本には、「GAPの法典」は存在していません。「それがなければGAPの評価ができないではないか」ということになりますが、実際には、なんとなく理解され、ある程度の共通認識があります。それは、農薬や肥料に関する法律があり、環境保護に関する法律もあり、法律を補う条例や、通達、指導書もあるからです。また、各種の法令を遵守するためのガイドラインや、技術的な裏づけとしての技術情報なども沢山あります。農業関係者が頑張って集めれば、それなりの日本版GAP規範は出来るはずです。
そういう視点で、日本のGAPを行うための各種規範を見てみると、冷涼な半乾燥地帯が多い欧州と温帯モンスーン気候の日本とでは、自ずと求められている農業や、農業の適正度を決める規範に違いのあることが判ります。また、欧州では、FAOやWHO、コーデックスなどの世界的な課題について常に意識されているのに、日本では国内制度で言及していない問題などがあることも分かります。
イギリスのGAP規範を概観する
イギリス版GAP規範の序章に、「なぜ農業はこうあらねばならないのか」ということが書いてあります。「汚染源と汚染の量について」、「より広範囲の環境保護について」、「環境規制とクロスコンプライアンスについて」、「そのための環境計画について」など、農業者や農場のスタッフ達が、そのためにどのような管理を行えば良いのかというGAP規範の基本的なことについて書いてあります。
第2章には、土壌の肥沃度と、植物の栄養について記述されています。土壌肥沃度の維持と汚染源としての窒素・リン・その他汚染の管理について、農業技術と環境汚染の関係性を説明し、その対策について記述されています。
そもそも農業は、少なからず環境を汚染するものです。従って、汚染を防ぐためのしっかりとした計画を立てなければなりません。
第3章には、農業の管理計画について書いてあります。作物栽培では必要な資材投入と管理方法について予め計画することが必要です。必要な最低限の資材と利用方法を決めて実施を管理することは、環境や農業を汚染しないために必須の要件です。
第4章は、リスクアセスメントに基づいた農場と施設の建設および管理です。日本では、GAPを生産工程管理の「手法」であるといっていますが、実際の農業管理においては、生産工程が始まる前に、多くの前提条件があります。農業を行うには、土地が必要ですし、種子や人間や技術が必要です。様々な農業資材も必要です。資材を管理する建物や施設なども必要になります。これらが汚染の要因であったり、汚染の発生源になったりすることがありますから、しっかりとした計画の下に、生産手段の準備と管理計画を持たなければなりません。建物の構造と運用の仕方、家畜し尿の処理、農薬の取扱い、肥料の保存と使用管理、燃料の貯蔵、畜舎の在り方とその管理など、これらが農業生産活動における前提条件ですから、GAPにおいても重要な管理ポイントになるのです。ここまでの前提条件に問題がないことが確認できて、生産工程はそれから始まるのです。
第5章になって、農作業における環境リスク、農業リスク、つまり、土壌の管理や家畜の管理、堆肥や汚水の管理、廃棄物について、化学肥料の使い方、農薬の使い方などの安全管理などについての規範が示されています。
第6章は、温室栽培や苗生産、その他の特殊な作物についてです。
第7章の廃棄物の章では、農薬容器の処分方法やその他の資材の細かな処分方法まで規定しています。環境保全に関する各種の法律を挙げ、個別の案件を具体的に記述しています。現代農業では様々な資材と技術を使います。その結果、多種多様な廃棄物が出ます。これらは、自然環境ではありえない物質ばかりです。農業に投入されたそれらの資材が確実に回収されなければ汚染は広がりますから、しっかりとした規範とその遵守のための管理が求められるのです。
最後の第8章には、農業における水の問題が書かれています。
これが、欧州GAPを代表するイギリス版のGAP規範の中身です。これが守られていれば、その農業は「GAPである」、つまり「適正な農業管理が行われている」ということになるのです。
このように欧州では、農業における環境への汚染が問題化した1970年代に法的・政策的な対応が始まり、1980年代にはGAP規範としてまとめられました。それがEUの共通農業政策と相まってEU加盟各国に根付き、1990年代には欧州の生産者に定着しました。そして、2000年代になって食品安全や動物福祉、農業の多面的機能など、21世紀に期待される農業のあるべき姿がGAP規範に加えられてきたのです。
EU硝酸指令(676/91)と日本のGAP規準
GAP規範の最たるものは法令であるといっても良いでしょう。法令の中にも、違反したら罰則が与えられる法律があります。EUの「硝酸指令」により、EUの全ての農業者は、この「GAP規範」に従って過剰な窒素分の投与を行わないという「GAP規準」を実践しなければなりません。
EUには、「規則」や「指令」と言われるものがたくさんあります。EU規則というものは、加盟各国が全て従わなければならない、いわばEU共通の法律のようなものです。EU指令は、そこで規定された枠組や要件に従って、加盟各国が自国に合った形で法律を作り、それを実施するというものです。
EUの硝酸指令では、加盟各国に「GAP規準AとGAP規準Bを作れ」と言っています。GAP規準Aの内容はEU全体に共通する内容であり、GAP規準Bは国内または地方(州など)に合ったものを作るということです。例えば、硝酸脆弱地域に指定されたところの農業者は、国が定める行動計画に従って、EUの全ての農業者が従うGAP規準Aと、国が定めた硝酸脆弱地域に対する上乗せGAP規準Bを守るということになります。また、GAP規準Aの中にも、EU共通項目に各国が追加すべき項目があります。
イギリスの例では、GAP規準AのうちEU共通項目としては、肥料を使用してはいけない期間を決めることや、急傾斜地における肥料の施用方法や、水が溢れている時、凍っている時、雪が積もっている時などの適切な施用方法を規定することになっています。そのほか、水辺に近い畑の場合の施肥条件やその方法、家畜糞尿が地下水を汚染しないことや、河川に流れ出さない貯留装置の容量と建設についてなどが決められています。河川や湖沼に流出する肥料分の許容レベルについても決められています。
日本では一般に、土壌分析は肥料効率を高めるために実施するという認識ですが、EUのGAP規準では、地下水や河川水などに流れ出して環境汚染しないように、余分な施肥をしないために、その圃場の作物に必要な養分を計算するための土壌分析を義務付けているのです。
GAP規準Aのうち加盟国が追加すべき項目には、作物の輪作計画や、1年生作物と永年作物の栽培面積比率を含む土地利用計画などがあります。例えば、キャベツの産地として地域の農場が一面のキャベツ畑であり、毎年繰返しキャベツだけが作付けされている、というのでは違反になるのです。そのため輪作体系を予め提案することを求められています。それから、水質汚染を起こす危険性のある窒素を土壌から吸収するために必要な最低量の灌水期間、農場ごとの肥料計画の策定、その肥料の使用記録などが求められます。
日本では、農薬の使用記録は神経質になりますが、肥料には無頓着で使用記録もあまりチェックされていないようです。堆肥などの有機肥料の使用では、その養分に関する記録はほとんどありません。しかし、日本でも農業地帯ほど地下水等の水質汚染が進んでいることが報告されています。硝酸態窒素などの肥料成分や家畜糞尿によるものが環境汚染の重大な要因なのです。
このように、EUでは環境汚染を起こさないための具体的な指標や目標数値などがGAP規準として決められていますので、過剰な灌水が制限されたり、結果として窒素過多になればクリーニングクロップを栽培したり、施肥を制限するなどの対策がとられることになるのです。
環境保全の最低マナーとしてのGAP規準(ドイツの例)と日本のGAP規準
ドイツでは、硝酸指令の規制内容を国内の肥料条例や土壌保全法の中に組み込んでいます。具体例を見てみますと、厩肥からの窒素肥料散布の上限を1ヘクタール当たり170kgに制限しています。
日本の現状では、家畜糞尿を使った堆肥などの生産技術の指導は行いますが、硝酸態窒素で環境汚染をしないための指導はあまり聞いたことがありません。日本における緑茶の栽培では大量の窒素成分が投与されると聞いています。お茶を美味しくするのはアミノ酸だと言われていますが、窒素を多くすればアミノ酸が増えるので、窒素肥料を使えば使うほどお茶が美味しく、なるといわれて大量の窒素肥料が投入されているのです。お茶畑は傾斜地も多いので、環境保全の観点からは大いに気になるところです。
ドイツでは、窒素の施用量だけではなく、施用する時期も制限されています。11月15日から翌年1月15日までは、窒素肥料を施用することが禁止されているのです。罰則を伴う法令ですから、正確な散布記録が求められ、それも単なる散布データだけではなく、散布が正確に行われていることの証明として、散布機械の整備記録なども持っていなければならないのです。
そもそも施肥計画の段階で、圃場ごとに必要な肥料の量を測定することが求められており、正当な理由がある肥料成分とその量だけの投与が許されるのです。機械の整備記録は、正確に肥料を散布することが可能であることの証明になるのです。農場現場の管理としては、肥料などの資材が河川や湖沼などの地表水に流れ込まない距離まで散布が規制されています。そして、このような厳しい規制の見返りとして、補助金が支払われるのです。
農業者への直接支払いの補助金は、法令で規定されたGAP規準とのクロスコンプライアンスなのですから、窒素成分は10アール当たり17キロまでというように、あるべき姿のGAP規範が明確であり、それを実現するための土地利用計画を立ててGAPを実践しています。肥料の管理、機械の管理、圃場の管理を記録に残して「公的機関への証明とする」というGAP管理は、農業者にとって当然のことになっています。「GAPは農業者が守るべき最低限のマナーである」といわれていますが、法令遵守ですから、正に当然のことなのです。
日本で作られている多くの「GAP規準」は、欧州において商用の認証制度として普及したGLOBALGAPなどの規準を参考に作られていますから、そこで根拠とされるGAP規範の原点はEUの法令に基づいています。したがって、そこで求められている公的機関からの指導や公的機関への報告などは、日本に存在しないものが多く、日本の農業行為としては意味のないものや無理なものなどが含まれているという矛盾を抱えています。そのために、実際のGAP認証では単なる形式的なものになっている場合もあります。
ドイツの土壌保全法の中にも硝酸指令が反映されていますが、その名の通り「土作り」が中心です。その中身は、土壌構造の維持・改善を図ること、そのためには土壌の硬化を防止し、土壌の流出を防止することです。輪作体系によって土壌中の生物を維持し、耕地の集約度を下げることで腐植土を保つことなどが規定され、同じく違反者には罰則が科せられます。
日本で農薬取締法が、農業者もその対象になったのは2003年からですが、EUでは硝酸指令と同じ1991年に作物保護指令が出され、これにより環境保全型農業を推進しています。例えば、ドイツでは、植物保護法の中に作物保護指令が取り込まれています。
そもそも、農薬を使用する農業者は、科学的に安全が保証され、実践的にも適合性と必要性が認められた農薬を、公的機関の助言のもとに使用するよう奨められています。日本で「公的機関の助言」と言えば普及指導員を指すことになるでしょう。EUで「公的機関の助言」といえば、農業技術助言システムによる農業技術指導員のことです。EUでは、こういう専門知識がある者が認めた作物保護の方法を用いることを前提としています。作物保護は、農薬の使用だけではありません。むしろ、如何に農薬を使用しないかに工夫すべきであり、そのために農業技術助言システムがあるといっても良いでしょう。可能な限り化学農薬を使用しないIPMが前提ですから、農薬はその使用の必要性が確認できた場合にのみ使うことになります。立地や作物の条件に応じて、農薬使用は必要量とし、害虫は「撲滅しない」ことが前提です。これらを公的または専門家の助言を受けて行うことが求められ、違反者には植物保護法により罰則が科されます。
国のあるべき農業の姿として、可能な限り化学農薬を使用しないという方向が打ち出され、そのためのGAP規範として、化学物質の使用を厳しく制限しているのです。なぜそうするのか、どうすれば良いのかなどについて、農業者は、専門家の指導を受けることになっています。指導者の指示に従って実施した結果が、GAP規範に照らしてチェックされることになります。EUでは、GAP規範によるチェックは、毎年農業者全体の1パーセントについて実施することになっています。
環境便益(環境や景観に対する明らかな便益)とは
EUの硝酸指令(676/91)や作物保護指令(414/91)と、それらに基づくEU加盟各国の「GAP規範」(Code of Good Agricultural Practice)は、農業者が必ず守らなければならない最低限のルールであり、それらの基準の上位に、環境にプラスとなる「便益」があります。EUでは、2005年以降は、このような規範をクロスコンプライアンスとして、農業者への直接支払いの要件としています。これが出来ていれば「補助金の対象になる」というものです。
現代の集約化された農業は、土壌、水、大気に負荷を与え続けています。つまり、農業が自然環境を汚染している訳ですが、それを大幅に削減するか、限りなくゼロにする活動がGAPとすれば、GAPの上を行く活動が「環境便益となる活動」です。そこで、これまでのGAPをGFP(Good Farming Practice)と呼び、環境や景観に対する明らかな便益となる活動を含んだ適正な農業管理をGAPと呼ぶと、区別しているところもあるようです。
環境便益となるGAPは、「良好な景観の創造」、「生物種の多様性の回復」、「飲料水の確保」、「農村の保養価値作り」などがその内容です。日本でも農業地帯の地下水の硝酸態窒素が飲料水としての基準値をオーバーして問題視されていますが、EUでは飲料水について厳しい監視が行われています。このような、高度に集約化された農業では生じることがない、農業による「正」の外部効果を生み出す行為が「その上のGAP」です。
日本でも、これまでも「環境保全型農業」として様々な提案が行われ、環境への便益も奨励されていますが、「環境負荷ゼロ」とは何かを明らかにし、ゼロに近づける努力の指標と、「環境に対しプラスにする」努力の指標を示すこと、つまり「GAP規範を作ること」をまだしていません。法律や行政におけるそれぞれの分野で、それぞれの目標を持ってはいるのでしょうが、それらを総合化した「農業のあるべき姿」としての「GAP規範」としてはまだまとめられていません。
EUでは「負荷ゼロ以上の行為」というものを規定し、そのための実行手順を示しています。例えば、定期的な土壌検査による施肥設計では、作物の生育に必要な養分だけを投与し、「多ければ取り除く」ことを示しています。また、害虫防除では、天敵の利用や害虫の個体数管理による害虫駆除を前提とし、基本的に化学農薬を使わない生物学的害虫防除による管理などです。除草剤の全面的な不使用や、農薬散布器具を指定して環境に配慮した経営管理にすることなどもあります。さらには、化学合成農薬・化学肥料の不使用などです。つまり、集約化された現代農業にとって代わる「代替農業」、例えば、「合理農業」、「統合化農業」、「有機農業」などへの推進が積極的に行われているのです。
それ以上のGAP規準
このようなEUのGAPをまとめてみますと、次のように言えると思います。
GAPは「農業者が守るべき最低限のマナー」である。これが、EUのGAPの定義です。それは、現代農業が環境に与え続けている負荷をゼロまたは大幅に軽減する農業活動であり、適正生産活動GFPとして法律で規制した合法的農業としています。これを実施しなければ合法ではありませんから、「これができなければ罰則ですよ」ということになる厳しい規範です。
そして、2005年以降は、それ以上のGAP規範、つまり「環境に対する明らかなプラスとなる活動の指標」が示されて、農業者に対する環境支払い、直接支払いによる所得補填の要件とされました。
農業に対するEUの支援政策としてみれば、当初は、環境負荷を無くすために「GAPを行う」ことが補助金の対象として奨励されましたが、GAPの普及が進んで、義務として誰もが実施するようになったら、今度は「それは実施して当たり前」、「農業が産業として環境汚染を起こさないことは当たり前」になりますから、GAPを実施することへの奨励金はなくなり、「やらなかったらペナルティー」と言うことになったのです。そして、こんどは、「環境をより良くすることに奨励金を出そう」ということなのでしょう。環境保全型農業を推進するためには、「それ以上のGAP」の実践が必要になったのです。
欧州の品質適合とGAP認証の変遷
EUでは、共通農業政策(CAP:Common Agricultural Policy)の持続型農業推進の基本としてGAP(GAP規範の遵守)が推奨されてきました。CAPの目標は、もともと「農業者の生活水準の適正化と同時に、消費者に良質な食品を公正な価格で提供すること」です。また、生産者は、農産物を販売して少しでも多くの収入を得るために、消費者の要求に応える優れた品質の農産物の提供に努めるものです。そこで、生産者が、GAPの環境保全と同時に良質な農産物の生産に努めた場合に、それを評価する「品質適合の認証制度」が始まりました。例えば、1990年に統合化農業認証のIPラベル制度(SwissGap)がスイスで始まりました。同じ年にフランスでは、農業ラベルの品質適合認証(Mais Doux)が始まっています。1991年には、イギリスでAssured Produce、スペインでNatursense、Naturane、ドイツでQS-GAP、オーストリアでAMAGAPが始まっています。
このように、各国でGAPを評価するための審査規準が作られ、そのための認証制度が普及しました。しかし、この各国独自の審査規準は、GAPの他に農産物の品質に対する審査基準をも含むなど、国によって要求事項が異なっていましたので、それらを一括管理しようと、EUは、1992年に、「EU食品品質証明制度」を作りました。これは、認証制度が既にある国は、それをEUに登録し、自国で認証制度がない国ではEUの証明制度に参加するというものです。
EUは、同じ1992年に、製品の認証制度の統合を図っています。各国に特有な認証制度を原則として廃止し、認定された第三者機関による検査を欧州全域で有効にする「New Approach Directives 85」の農産物への適用です。つまり、各国独自の検査による評価では、農産物の評価結果に共通性がないので、評価のベースとなる部分について、ISOを利用することにより評価の規格を統一しようということです。
EUREPのIFA(農場の評価)認証制度
農産物の評価に必要な検査規格がISOで統一されても、評価するための「物差し」である「GAP規準」がバラバラでは、EU各国に店舗展開する農産物の小売店にとっては、その認証制度も取引き規準として使いにくいこと、また、買い手側にとってコストアップになることなどの理由から、スーパーマーケットなどの国際取引に都合の良い規格として、1996年に、小売業界から青果物の生産ガイドラインが提案されました。そして翌1997年には、青果物の生産ガイドラインをGAP認証制度にしようと、GAP規準の統一のための組織EUREP(欧州小売業団体)が結成されました。
この組織の狙いは、取引きをする農業者の評価です。EU加盟各国で既に定められていた「GAP規範」のいずれにも共通する部分を取り出して共通の適正農業規範とし、この規範からEUREP組織に参加する小売店が許容できる「最低限の評価基準」を作成しました。1998年に、最初のEUREPGAPの草稿が作成され、1999年にイタリアとスペインの産地で青果物を対象にパイロット審査を行い、2000年に農場保証制度IFA(Integrated Farm Assurance)として開始され、2001年にこの認証による「第一号の農場が誕生した」というのが、EUREPGAP認証制度の始まりです。
EUREPGAPの認証制度は、総合農場保証(IFA)という基準文書として、認証のための一般規則と、農場評価のための、CPCC(管理点:Control Pointと遵守規準:Conpliance Criteria)で構成されています。2001年にスタートしたばかりで歴史が浅いのですが、2002年時点の認証農場数は約4,000となりました。そしてEUの共通農業政策アジェンダ2000に基づく2003年CAPの中間見直しに合わせるかのように、EUREPGAP加盟企業は、それぞれの取引先に対して2005年までに認証を取得するよう強く働きかけました。
日本では、青森県の「片山りんご㈱」が、イギリスの果実卸売商のEWT社から、認証取得の条件を出されたのが2002年です。「2003年までにはGAPに取り組んで下さい。2004年までには認証にチャレンジして下さい。そして2005年までには審査でCPCCの必須項目に受かって下さい」と、段階的な取組みを勧められました。
この件で、筆者と片山さんが2003年にイギリスに調査に行ったときに、EWT社から渡されたものが、イギリス政府(イングランド)が作成した3冊の「GAP規範」(水質保全、土壌保全、大気保全)と、肥料や農薬の取扱いに関する農業の「実践ガイドブック」です。このガイドブックは、肥料による環境汚染を防ぐための事細かな注意や、農薬のドリフトなどによる暴露事故を起こさないための詳細で具体的な指導書です。
農業者がGAPを実践するために必要なものは、この「GAP規範」と、規範を遵守するための具体的な「実践ガイドラブック」です。EUREPGAP規準のCPCCは、審査員が審査するときに使用するものであり、農業者がGAPを導入するに当たって必要なものではないので、EWT社から私達に渡されることはありませんでした。
日本ではなぜか、現代農法の「どこが問題なのか、なぜ問題なのか」を示した「GAP規範」もなく、「その問題にどのように対処すべきか」という「実践ガイドブック」も渡されずに、農場の評価に使う「チェックリスト」だけが渡されているようです。このようなチェックリストは、あくまでも第三者が評価するときの物差しであり、これでは、農業者が取り組むべきGAP(適正農業管理)の指導にも、経営改善の支援にもならないと思います。今のままでは適正なGAPの普及も考えられません。
EU共通農業政策(CAP)とEUREPGAP認証制度
GAPに関する欧州の時間の流れを見ますと、EUの共通農業政策(CAP)とEUREPGAP認証制度の普及は密接に連携していることが分かります。アジェンダ2000は、EUREPGAPの開始と同じ時期です。2003年のCAP中間見直しの時期に、EUREPGAPを仕入れ条件とすると発表しています。2005年のクロスコンプライアンスの開始に合わせて、EUREPGAPが仕入れの最低条件として規定されています。
政策としてのGAPが定着し、「GAPは、EUの農業が実施すべき最低限のマナー」になった訳ですから、小売企業がGAPの認証規則を作って農業者を評価・選別することも「問題なし」とされたのだと思います。また、EUREPGAPでは、消費者の手に渡る全ての農産物、つまり輸入する農産物や加工食品の原材料の全てに適用するといっています。そのため、EUREPGAPは、EU域内およびEU域外の各国において、EUREPGAPに先行して認証制度を実施している多くのGAP規準との同等性認証を行っています。
私は、2004年にJGAP認証制度を作って、2005年10月に開催されたEUREPGAPの国際会議で、このスキームに参加しました。翌2006年に、中国とともに同等性認証の手続きに入り、2007年に暫定認証(Provisionally Approved Standards)を取得しています。
2007年にEUREPGAPは、GLOBALGAPに名称変更し、欧州に農産物を販売しようとする世界中の関係者に認証取得を呼びかけています。2008年には、GLOBALGAP青果物版の日本語登録を行いました。筆者がJGAP規準を作った目的は、「日本語の規準」で、「日本人の検査員」で、「安価な審査料」で認証を取得できるようにするためでした。しかし、今はGLOBALGAP自体が日本語で登録され、日本人の審査員も出来ました、そのため審査員は国内旅費のみになり、認証のコストも大幅に下がることになりました。
ここに至って、GLOBALGAPは、表示通りの「小売業者が我慢できる最低限の規準」になりました。イギリス最大のスーパーであるテスコでは、自社の独自のGAP規準である「ネイチャーズ・チョイス」の認証農業者の農産物を最高級商品(エクストラ)として取扱い、ヴァリュー商品といわれる一番ランクが低い商品でもGLOBALGAP認証農場のものしか取り扱わないと決めています。
*共通農業政策(CAP;Common Agricultural Policy)の目的は、農民の生活水準の適正化と同時に、消費者に良質な食品を公正価格で提供することにあります。この目的を達成する方法は時代とともに変化しており、現在では、農村の環境保全、食品安全、金額に見合う価値が中心的な概念となっています。
*EU域内での貿易障壁の除去を目的として、欧州閣僚理事会は 1985年に「ニューアプローチ」(New Approach Directives)の導入を決議しました。国別の認可制度は原則として廃止され、これにより製品を EU 域内で自由に流通させられるようになりました。
欧州の小売企業が期待する農業(GAP規範)と評価基準
イギリス最大のチェーンストア「テスコ」の独自GAP規準とその実施規則である「ネイチャーズ・チョイス」は、その内容をみるとイングランドやウェールズの政府が作成したGAP規範に近いものです。テスコのGAPへの取組みは早く、私共が最初に入手した2001年のGAP実施規則では第6版になっていました。90年代当初から既に実施していたということになります。
2001年からスタートした EUREPGAP(現在のGLOBALGAP)認証制度は、この「ネイチャーズ・チョイス」やその他のスーパーなどのGAP規準を参考にして作られた「小売業者が許容できる最低限度のGAP規準」ですが、基本的な考え方は踏襲しています。
テスコの「ネイチャーズ・チョイス」は、以下の文章で始まっています。
『テスコの農産物は、全て美味しく消費者に好まれるものでなければなりません。供給者にとっては、新鮮さ、味、外見、出来栄えなどの価値が重要な基準になり、高いレベルの品質基準を下回る生産物が販売されることはありません。しかし、以上のことは、生産物とその取扱い手法に持続性があり、自然環境の状態や生態系の多様性を守るものであり、可能な限りこの方向を拡大させる方法で達成できるとテスコは判断しています。それが、テスコが「ネイチャーズ・チョイス」という実施基準を開発した理由です。』
このネイチャーズ・チョイスは、テスコの哲学としてこう言っています。「このGAP実施規則は、テスコの顧客の高い理想と期待を満足させるものです」と。そのために、「ネイチャーズ・チョイスにより農産物を生産する生産者は、法令を遵守し、実施規則に基づいた作業を行う」。具体的には、「水質、土壌、大気保全のために、イギリス政府が策定した「GAP規範」を守ることである」と言っています。つまり、「イギリス政府が策定したGAP規範をちゃんと守った生産者の農産物だけがテスコで販売される」と言っているのです。
なぜ、スーパーがそうするのかといえば、「お客様は理想が高くなっているから、生産者は持続的な農業を実践することが大切である」ということです。消費者の安心というのは、『この食べ物が「安全」だから「安心」できる』というものではありません。日本には「生産者が頑張って科学的に合理的に衛生管理を行って安全性を確保することで、消費者に安心を提供する」、「そのためにGAPを行うのだ」という人がいますが、もともと欧州で始まったGAPはそういうものではありません。農産物が長期的に安定して供給されることが、消費者にとっての安心につながるのです。
今や全ての人にとって、環境や健康を守ることへの関心は非常に高まっています。ところが、全ての食物の生産は、何らかの自然環境の撹乱を伴うものです。
そこで、ネイチャーズ・チョイスは、「持続可能な農業システムであることを確認し、そのような生産システムを選択し、農業による環境への影響を極力少なくする努力をしている」というのです。このような活動により、「農業資材やエネルギーの使用を減らす方法を考え、実行し、廃棄物を最小化し、実現可能で環境に有益なリサイクルも実践します」と言っています。
テスコは、GAP規準として「ネイチャーズ・チョイス」を生産者に要求する理由を次のように述べています。
『テスコの哲学に基づいて、その目的を達成するためには、農産物の生産計画から、栽培、収穫、出荷までの全てにおける農業の実践の中に重要なポイントがあり、これらの問題点を明らかにし、分析し、解明することで、農業における健康問題と環境負荷を解決することが可能になる。そのための基準が「ネイチャーズ・チョイス」である』と言っています。つまり、この規準に従うことが、健康と環境の問題を解決しようとしているその証明になるのです。
テスコは農産物の供給者として、生産者とともに環境保全を行うという責任を持っているということを消費者に示すこと、これが、「ネイチャーズ・チョイス」の狙いなのです。つまり「消費者の皆さん、テスコの農業者は環境を守り、持続的な農業を行うことで、未来永劫、皆さんに健全な農産物を届け続ける責任を果します」というアピールをしているのです。
その「ネイチャーズ・チョイス」の内容は、具体的な規準として7つの章に分けて実施規則を規定しています。なお、英語でかかれたネイチャーズ・チョイスを翻訳するに当たって、「Rational use of Pesticides」を「農薬の道理にかなった利用」と訳しました。「Rational」を「合理的な」と訳すと、「無駄がない能率的な農薬の使い方」という意味が強くなり、GAPの目的からずれるような気がしたためです。それから、肥料についてですが、「Fertilizers and Manures」化成肥料と厩肥とをいつも分けて表現しています。両方の「Rational use of・・」、即ち「道理にかなった使い方」です。
ネイチャーズ・チョイのス項目には、環境汚染の防止、働く人の健康保護、エネルギーや水などの自然資源の「Efficient Use・・」効率的な利用、資源リサイクル、野生生物の保護と景観保護などがあります。
こうしてみますと、「ネイチャーズ・チョイス」は、イギリス政府が提示しているGAP規範(適正農業規範)をそのまま取り込んで具体的な実施規則として展開しているのです。これが、テスコのスーパーが消費者に向かって言っている「当社の店頭にある農産物はこのような商品です」ということなのです。
実施規則は、農作業における一挙手一投足までを規定するものではありません。ここで言っていることは、「農薬を選択する時には、公的機関のアドバイスを受けなさい。」「農薬を使用できるのは、農薬使用許可証を持っている人だけです。」「農薬の使用に当たっては政府が決めた安全基準に従って下さい。」というようなことです。そして、いつ誰がどのように実施するかという計画を立てて下さい。その計画が予定通りに実施できたか、予定通りでなければ実施された内容を記録してください、ということです。
日本で、農協が指導している記帳運動では、「実施したことを記録して下さい」ということですが、「ネイチャーズ・チョイス」では、「始めに計画ありき」です。計画があっての実施であり、その実施が、具体的に、いつどこで誰が何をどうしたかなどの詳細に亘ります。このことが求められる「管理」ということなのです。
目的が異なる民間による2つの農場認証制度
スーパーマーケットの信頼のために行う農場認証制度(Farm Assurance:FA)
前回は、イギリス最大のチェーンストアである「テスコ」独自の農場認証規準である「ネイチャーズ・チョイス(Natures Choice)」を紹介しましたが、EUのスーパーマーケットが全て農場認証制度(Farm Assurance Schemes)を持っている訳ではありません。独自の規準どころか、そもそも農場認証を全く要求しないスーパーもあります。
イギリスのスーパーでは、対象としている客層の違いによって、農場認証制度とその内容は大きく異なります。その客層と取り扱う商品の品質でみると、高級な順に、ウエイトローズ(Waitrose:最高級)、マークスアンドスペンサー(Marks and Spencer:高級)、セインズベリー(Sainsbury’s:高級)、テスコ(Tesco:中級)、アズダ(ASDA:低級)、モリソンズ(Morrisons:低級)などとなります(2010年11月、DEFRA(イギリス環境・食料・農村地域省)、NFU(全国農民連合)およびBarleylands(大規模穀物栽培農場グループ)における聞取り調査)。
最高級のウエイトローズは、Linking Environment and Farming(LEAF)というオーガニックに近い高いレベルの農場認証規準(Farm Assurance Schemes)を採用しています。LEAFは認証専門の団体が運営する国際的な農場認証制度です。高級スーパーであるマークスアンドスペンサーとセインズベリーとは、それぞれ独自の農場認証規準を持って取引農家の検査を行っています。中級のスーパーチェーンであるテスコは、前回ご紹介したテスコ独自の農場認証規準であるネイチャーズ・チョイスにより取引農家の検査を行います。安売りを最大の戦略としているアズダとモリソンズは、そもそも農場認証を要件としていないということです。
日本では、欧州小売業団体(Eurep)のGLOBALGAPという農場認証制度が知られていますが、独自の農場認証制度を持つ欧米のスーパーでは、当然独自の農場認証をパスした商品がほとんどですが、直接に売買契約ができない外国の農産物に対しては、最低基準としてGLOBALGAPという農場認証を要求しています。
例えば、スペインの野菜農家が、高級スーパーのウエイトローズに販売しようとすればLEAFの農場認証が必要になりますし、マークスアンドスペンサーに販売しようとすれば「Marks & Spencer’s Standard & Farming Practice」の検査を受けなければなりません。また、タイには欧米系小売企業が多数参入していますが、テスコ・ロータス(テスコ系列)は、タイ国内の生産者にはネイチャーズ・チョイスの検査を要求し、タイの生産者はそれに応えることでテスコ・ロータスに農産物を販売することが可能になっています。日本からタイのテスコ・ロータスに青果物を販売しようとすれば、最低でもGLOBALGAPの農場認証が必要になるということです。
このように、欧州では生産者が青果物を販売するためには、そのスーパー独自の農場認証規準の検査を受けなければなりませんが、それはあくまでも生産者とスーパーとのサプライヤー同士の間の認証制度です。経済取引上の「力学」から見れば、農産物の買手であるスーパーが、生産者に対して、「仕入先として認めるか認めないか」の基準(標準)なのです。そのために生産者は、LEAFの適合認証を取れなければ、別のスーパーの農場認証を、それもだめならGLOBALGAP認証を取得するというような選択をしているのです。
このようなことから、欧州の一般消費者は農場認証のことについては何も知りません。消費者にとって重要なことは、商品をどのスーパーで買うかということであり、DEFRAの話によれば、「信頼するスーパーが合法的に何をしてもそれは自由であり、その仕組みを消費者が知る必要もない」のです。
生産者と消費者の信頼の橋渡しとしての農場認証制度
このようなスーパーの農場認証とは別に、生産者と消費者との間の「農業情報の橋渡し」をする農場認証制度があります。前出のLEAFや、土壌協会(The Soil Association)の「食と環境の認証」(Food and Environmental Certification)、全国農民連合(National Farmers Union)が深く関わっているアシュアード・ブリティッシュ・フード(Assured British Food)の食品認証である「レッドトラクター」(Red Tractor)などの様々な認証制度は、流通業者の利益のためではなく、消費者に対して「生産者が環境に優しい農業を行っており、安全な食品である」ことを証明する制度です。
スーパーなどの流通業者とは関係がなく、認証団体が独自に「安全な農場である」ことを証明する農場認証制度は、その認証マークを付けた農産物を消費者が購入することによって特定の農業や産地を支え、その結果として持続型農業や自然環境の保全に貢献しようという狙いがあります。農場認証制度を運営する認定機関としては、農業者の団体や消費者団体および行政が関わる団体などがあります。特に欧州のレッドトラクターは、NFUやDEFRAなどの支援を受け、農産物が生産者から消費者の手に渡るまでの全過程における「品質と安全」を保証する制度としたために、国内の普及率が高く、NFUの言葉によると、「イギリス産の農産物の圧倒的多数がこの認証を取得している」そうです。
GLOBALGAPのようなスーパーのための農場認証と違って、レッドトラクターなどの農場認証は、高いレベルの環境保全型農業を認証するものであり、その認証マークが商品に貼付されることで、消費者の直接的な信頼を受けています。
これらの認証は、農業由来の環境汚染を意識して、「環境汚染を限りなく削減して持続的な農業を実践することが国民的・国家的な利益につながる」ということを消費者に伝え、その健全な農業を消費者が支えるために実施される「適正農業管理(GAP)」であり、そのための「農場認証制度(FA)」であるといえます。
日本ではまだGAPの概念が充分に浸透していない
もともと「適正農業規範(Code of Good Agricultural Practice)」は、環境汚染を起こしやすい現代農業のマイナス面を補う「健全な農業管理」を行うことによって、持続的農業、持続的社会の構築に貢献しようとする農業政策です。したがって、EUでは、具体的な環境支払いのための環境配慮要件(クロスコンプライアンス)として、適正農業規範の遵守が求められています。
このような現在の農業への適正な取組みを評価し、消費者の期待に応えて行くためのシステムとして民間による農場認証制度が作られましたが、その制度自体を、「誰が、どのような目的で運営するのか」によって、上記のように、「スーパーマーケットの信頼のために行う農場認証制度」と「生産者と消費者の信頼の橋渡しとしての農場認証制度」とが生まれたのです。
日本には「スーパーマーケットの信頼のために行う農場認証制度」だけが輸入され、「食品安全のためのGAP」ばかりが意識されたために、国の農業政策としての適正農業規範の考え方が定着せず、農場認証制度の分化も行われていません。このような状況にあって、地方行政が「生産者と消費者の信頼の橋渡しとしての農場認証制度」などを作り始めているのではないかと思います。
農業由来の環境汚染対策としての欧州GAPと食品安全に偏る日本GAP
さきほど、イギリス最大のチェーンストア「テスコ」の独自GAP実施規則である「ネイチャーズ・チョイス」の哲学やその目的について紹介しましたが、今回はその内容に触れて、日本で一般的と考えられている農場認証規準(Farm Assurance,FA)のチェックリストと比較してみます。
テスコのGAP実施規則7課題のうち、農薬の利用、肥料の利用の実施項目について、その概要を要点だけを以下に列挙します。
【1】農薬の道理にかなった利用
- 害虫・疫病・雑草に対し、農薬を用いない管理手段を最大限に利用する。
- 例えば、抵抗力・耐性力のある品種の選択、益虫や他の有益な生物の利用、成長持続可能な輪作作物の選択、適切な栽培法やウイルス予防策の実行などです。
- 化学農薬の使用には正当な理由が必要です。
- 最小限の農薬の投与で最大限の効果が得られるように、害虫・疫病・雑草は念入りに、綿密な監視が必要、病害虫発生予擦・警戒システムなど利用すること。
- 登録農薬の選択と資格登録者の指導・助言を受けることが必要です。
- (EUでは肥料や農薬を使用するためには免許が必要)
- 農薬の使用は、政府の「農場における農薬の安全使用基準」に従わなければなりません。農薬使用前に環境リスク評価を行うことが必要です。
- 有資格者が「農薬使用指示書」を出すこと。
- 記載要件は、「作物の配置、農薬の使用区域、使用割合、使用薬剤、タンク混合、水の量、使用目的、日付・署名」
- 農薬使用者による使用記録(確認書)が必要です。
- 記載要件は、「署名、日付、時間、作業者名、天候、指示詳細」
- 農薬使用の指図書と確認書は記録保管します。
- 収穫周期の遵守と、農薬を与えられた作物に残留農薬が残っていないことと、残留基準値を超えていないことを保証(証明)できるものが必要。
- 害獣に対しては、定期的な監視や外柵、忌避具等許可された罠を使用すること。
- ガスや化学殺鼠剤の使用は避けること。
- 農薬の調剤と混合には、健康安全対策、環境汚染最小化対策が必要です。
- 農薬の処分(廃棄)は、法令に従って行うこと。
- 希釈した農薬の余りは処分しない。全ての装置は洗浄し、その排水は「地下水指令」に従って処理すること。農薬容器は再利用せず、安全な区域に保管して、各地方当局の要件やGAP規範の大気保護規約を遵守して焼却すること。農薬で汚染された衣服・土・砂なども同様に処分する。
- 農薬は、GAP規範「衛生安全委員会事務局の要件」に適合した方法で保管すること。
- 貯蔵施設に関する要件:農薬の流出に備え、貯蓄が予想される農薬の合計量の110%を保有できること(環境保護指定区域の場合は185%)。誤って作業者に農薬がかかったときの対応のために10メートル以内に、すぐに利用できる水源があること。建物の外側に建物内に農薬があることを示しておくこと。貯蔵施設に入るのは農薬を扱う資格を持つ作業者だけに制限すること。健康・安全上のリスクがないときのみ粉剤は液剤より上に保管すること。火事や盗難を避けるため、保管物の細かいリストは別の場所に保存すること。再注文の前に保管されている農薬を使い切るようにするため、農薬の在庫を回転させること。個々の農薬混合作業場や農場周辺に農薬が運ばれる場合、濃縮農薬は適切な乗物やトレーラーで運ぶこと。その乗物は適切な警告サインを掲示しておくこと。
- 個人用防護装備は農薬から離して保管し、使用済みのものは未使用のものと同じ戸棚に置かないこと。
- 農薬散布機の安全保管とメンテナンス
- 農薬散布機は、農薬およびその他の機械や機器とは離して保管すること。計画的なメンテナンスを行うこと。
【2】肥料の道理にかなった利用
- 肥料の合理的使用を示した方針の説明書(計画書)が必要です。
- 肥料の使用は、地方政府が作成したGAP規範に従うこと。
- 土壌の肥沃さを維持するとともに環境への影響を最小限にすること。そのために土壌分析を行うこと。保護地域、野生動物の通り道や小川に肥料を使用してはならない。
- 耕作地への窒素の使用
- 窒素の使用は作物の必要を考慮し、土壌からの窒素の放出、作物への残留、厩肥などの有機肥料の使用を念頭に置くことが必要。リスクを最小限に抑えるため窒素を与える割合とタイミングを見計らうこと。堆肥を与える場合、前後12ヶ月の期間で与えた窒素量が合計250 kg/haを超えてはならない(GAP規範)。連続して作物を作付けする農地や定期的に厩肥などの肥料を与えられている農地では、土壌ミネラル、窒素テストを行うこと。
- 土壌へのリン酸肥料、カリウムやマグネシウムの適用
- 正確な土壌サンプルの分析に基づいて行うこと。装置の状態は効率的で正確に散布し、保護地域、野生動物の通り道や小川に肥料を使用してはならない。
- 堆肥や有機肥料の施用では、含まれる栄養成分に関する十分考慮が必要。
- 豚や牛のスラリーや鶏糞を適用するタイミングは、法律上の要件に従うこと。堆肥や有機肥料の使用は、水質汚染のリスクを最小化し、GAP規範を遵守すること。悪臭や許容できない重金属による汚染にも注意が必要。
- 水耕栽培作物への肥料の施用
- 緊密なモニタリングと溶液組成の取扱いによって、水耕栽培の敷地から流出する水を最小化すること。栽培溶液の栄養状態を定期的にチェックし、適切な肥料量に調節しておくこと。
- 肥料の保管
- 肥料保管倉庫には目印を付け、偶発的な事故のリスクを最小化すること。水路や地下水源から10メートル以内に固体肥料を保存しない。固体肥料は覆いをかぶせ、乾いた場所で保管、流出の対策をとる。
- 肥料の使用の説明と記録
- 肥料施用の指示書を出せる者は、資格がありFACTSに登録された者のみ。使用された肥料の種類、量、タイミングに関しての詳細な記録が必要。
以上のテスコのGAP実施規則【1】農薬の道理にかなった利用、【2】肥料の道理にかなった利用には、農業現場の実際の活動の中で農業者が行うべき適正行為(Good Practice)について記述されています。そして、その内容は、「環境保全」と「労働安全」を主眼としたGAP実施規則です。EU加盟国の農業者が実施すべき最低限のマナーとしての「地方政府が作成したGAP規範」を前提にしています。
EUでも、スーパーマーケットは、自社の仕入基準として「食品の安全性」にばかり重きを置いているという批判があるものの、契約生産者に要求する上記のGAP実施規則として明文化されたものは、明らかに環境保全型のGAP規準です。
【3】食品安全のための農薬・肥料の取扱い
これに比較すると、日本のGAP規準は、如何に食品安全に偏っているかが判ります。民間の農場認証規準「JGAP管理点と適合規準青果物2007」では、「農薬の使用」と「肥料の使用」が「農産物の安全」のために遵守すべき項目として規定されています。同規準では、農業者が遵守すべき行為を、以下のABCDに分けて規定しています。
- 農産物の安全(1.農薬、2.肥料、3.土の安全性、4.水の安全性、5.種苗の安全性、6.収穫、7.農産物取扱い)
- 環境への配慮(8.水の保全、9.土壌の保全、10.周辺地への配慮、11.ごみの減少とリサイクル、12.エネルギーの節約、13.野生動植物の保護)
- 生産者の安全と福祉(14.作業者の安全、15.従業員の福祉)
- 農場経営と販売管理(16.記録管理、17.自己審査、18.販売管理とトレーサビリティ)
「A食品安全」の項目の説明では、生産者は、農産物の安全性確保のために農薬や化学肥料の使用を減らし、農薬を使用する場合は、残留基準値以下にしなければならないと記述し、重ねて、残留農薬が基準値以下になるよう充分な管理と検査が必要であると、食品安全のみを強調しています。
【4】日本では、GAPの目的が食品安全に矮小化されている
そもそもGAP概念が登場した背景は、現代農業技術の影の部分、つまり工業的に生産された窒素成分が、農作物が必要とする以上に投与されることで水質汚染などの環境被害を引き起こしていること、また、化学合成農薬の使用により自然環境の循環機能が阻害され、生態系に悪影響を与えていること、などを是正しなければならないということなのです。わずか半世紀の間に人類の生存に深刻な影響を及ぼすこととなった農業由来の環境汚染を削減し、農業環境を回復させることで、人と自然に優しい農業を実現することがGAPの目的なのです。
「JGAP管理点と適合規準青果物2007」と「ネイチャーズ・チョイス」との、農場認証のための評価規準(チェックリスト)の一つ一つを見ると、表現は似ているのですが、その文脈や遵守規準の考え方が大きく異なっています。「ネイチャーズ・チョイス」が、政府が作成した適正農業規範(GAP規範)を遵守するためのGAP実施規則であるのに対して、「JGAP管理点と適合規準青果物2007」は、農産物の食品としての安全性を確保するために準備した農場認証制度だからです。これらは「似て非なるもの」になっています。今後のGAP推進では、この違いを確認し、日本農業としてのあるべき姿を目指すことが必要です。
名目はGAPの世界規準であるが、食品安全の問題にすり替え
環境問題を骨抜きにしたJGAP規準
農産物の安全に偏ったJGAP規準
「JGAP“管理点と適合基準青果物”2007」は、欧州の小売業団体が輸入農産物の取引基準として行っているEUREPGAP(現在GLOBALGAP)農場認証規準の日本語版コピーとして作られました。管理項目は「A.農産物の安全(76項目)、B.環境への配慮(21項目)、C.生産者の安全と福祉(19項目)、D.農場経営と販売管理(13項目)」の4つのカテゴリー(項目数)に分けています。しかし、このカテゴリー分けとその“管理点と適合基準”の内容は、EUREPGAP農場認証規準や、EUREPGAPが参考にしたテスコの「ネイチャーズ・チョイス」などのGAP実施規則とは事実上異なる内容になっています。
まず、JGAP農場認証規準では、農産物安全が76項目であるのに対して、環境への配慮が21項目と圧倒的に環境の項目が少ないのです。
GAP本来の姿
GAP(適正農業管理)が求められる真の理由は、現代農業技術の影の部分、つまり必要以上の肥料投入や化学農薬の使用により自然環境の循環機能が阻害されているという点にあり、農業由来の環境汚染を削減して農業環境を回復させ、持続的農業を実現させることにあります。もちろん、農業の成果である農産物が食品として安全であることは当然のことです。つまり、人と自然に優しい農業を実現することがGAPの真の目的なのです。
この連載の第9回で紹介した「ネイチャーズ・チョイス(テスコ)」の規則【1】農薬の道理にかなった利用、【2】肥料の道理にかなった利用、の内容は、「環境保全」と「労働安全」を主眼としたGAP実施規則です。さらにネイチャーズ・チョイスは、【3】汚染の防止の章で、農業による環境汚染を防ぐために、以下のような管理項目を規定しています。
- 汚染の防止に関する指針書
- 環境へのダメージを防ぐことへの試みと実施の方法を記す。
- 汚染の検証
- 潜在的な公害や汚染のリスクを認識し環境汚染を最小化する対策を行う。
- 関係省庁のGAP規範(適正農業規範)の厳守
- 輪作、耕作、作物への肥料の慎重な使用。農薬や肥料が地下水や地表水、給水地点の水を許容値以上に汚染していないことを立証する。廃棄物の量と種類の確認、廃棄物量を最小化する。肥料、農薬の道理にかなった使用を含め、土壌の管理に責任を負う。
- 水中の残留化学物質
- 水路、周辺の抽出点、地下水源の位置などを記録。 上水・下水への汚染を及ぼしていないことを明示。出荷調整所や加工場から排出する洗浄水は、残留した農薬や他の化学物質、微生物について検査するためにサンプルを取っておく。排水が地表あるいは水路に流される場合は、全ての関連した法的基準を満たす。
- 燃料と潤滑油の保管
- 燃料保管に関しては特定の法律上の要件を満たす。
これらは、スーパーマーケット(テスコ)の独自認証規準ですが、EU加盟国の農業者が実施すべき最低限のマナーとして「地方政府が作成したGAP規範」の遵守を前提にしています。EUでも、「スーパーマーケットは、自社の仕入基準として食品の安全性にばかり重きを置いている」という批判があるものの、契約生産者に要求する上記のGAP実施規則として明文化されたものは、明らかに環境保全型のGAP規準なのです。
食品安全を目指す商業GAP
それでは、EUREPGAP農場認証規準のコピーであるはずのJGAP農場認証規準が、GAPの本命である環境保全に関する項目が圧倒的に少ないのはなぜか?それは、JGAP農場認証規準が商業主義的な位置づけであることに関係しています。
日本では、生産段階の食品安全性を確保する手段として、大手流通業者が先行してEUREPGAPをモデルとしたGAP規準作りが進められました。そのため、GAPの目標は、「農産物の安全性確保と持続的農業の発展」であるとはいうものの、その運用に当たっては、「食品安全の確保」が第一義の目標となっています。
日本最大手のスーパーマーケットチェーンである㈱イオンは、2002年に「イオン農産物適正生産規範AGAP」を発行しています。ここでは、適正生産規範が目指す内容として以下の項目を掲げています。
- お客様の安全で健康な食生活に貢献します。
- お客様に安心な商品をお届けします。
- 環境負荷を低減に努めます。
- 地域の自然を活かす農業の実践を目指します。
- 生産者の健康と安全、そして福祉を大切にします。
- お客様と生産者及び流通に係る全ての人達とのパートナーシップを大切にします。
政策としての食品安全GAP
日本では農業政策でも、このような「食の安全」の確保が強く求められるようになり、「食品の安全性」を確保する手段としてGAPの実施が求められることになった背景には、O-157による食中毒事件(1996)、BSEの発生(2001)のショック、無登録農薬事件(2002)の多発などで、食品安全への関心が高まったことが挙げられます。当時、農林水産省では、消費者の信頼を取り戻すために、農産物流通のトレーサビリティ・システム作りと、生産現場においてはアメリカ型の食品衛生管理「生鮮青果物の微生物的危害を最小限に抑えるための食品安全ガイド」をモデルにした「野菜衛生管理規範」などを作り、2004年から「食品安全のためのGAP」としてGAP導入の政策が始まりました。
その後、GAP政策の担当部署を、消費安全局から生産局に変えて「農業生産工程管理手法」として取り組まれ、環境との調和も考慮した「基礎GAP」として推進されていますが、そもそもの政策目標が「消費者の信頼と食品の安全の確保に向けた取組の充実」としてのGAP推進ということですから、その目的が「食品安全」に歪曲された狭義のGAPとなっています。
外形と内容が捻じれたJGAP規準
このような日本の農産物の流通事情の中で、商業利用としての普及を目指したJGAP農場認証規準は、「食品安全」を主な管理目標として策定されました。しかし、食品安全を目的としたGAP規準では、環境保全を目的とする世界の評価を得ることができません。
形だけでも世界標準を目指さなければ国内評価も得られないだろうという理由から、EUREPGAP農場認証規準をコピーして「JGAP管理点と適合基準」が作成されました。
コピーだから2007年にEUREPGAPチェックリストとの暫定的同等性認証を得ることができたのですが、JGAP農場認証規準は、実際には「環境保全」に関する管理項目の記述を、日本好みの「食品安全」のカテゴリーに入れてしまったのです。76項目と、JGAP規準項目全体の約6割を占める「A.農産物の安全」のうち、実態は、①農薬の管理項目のうちの半数近くの項目は、農産物の安全性確保が目的ではなく環境保全に関わる項目です。②肥料の管理項目のほとんどは環境保全そのものの項目です。また、③土の安全性の管理項目もそのほとんどは、農産物の安全ではなく環境の保全に関わる項目です。いずれも環境保全の管理項目を、食品安全のための農業管理に置き換えたものなのです。
このような枠組みにすることで、記述事項の文言としてはEUREPGAP規準に向けの対応を行い、国内向けには、「農産物の安全」のための管理項目として運用しているのです。そのために、JGAP規準は、EUREPGAP及び「ネイチャーズ・チョイス」などのGAP実施規則と同じような記述ですが、食品安全のために行う行為ですから、そこで要求される適正管理の内容は異なる、という捻じれた状態になっているのです。
農業由来の環境汚染が認識されないJGAP審査
事例を挙げればきりがないのですが、GAPで最も重視している項目の一つに、土壌や水質の硝酸塩汚染を起こさないということがあります。EUでは、単位面積当たりの肥料施用の総量制限があり、作物の必要量の計算を行い、そのための土壌分析、肥料設計、資材の準備、肥料の施用、輪作、クリーニングクロップなど、合理的な肥料使用のための様々な要求事項があります。したがって欧州では、それらの項目がGAP農場認証においても審査の重要なポイントになっています。
ところが、食品安全のための土壌管理、施肥管理を目的とするJGAP農場認証規準には、GAP本来の規範である農業による硝酸塩汚染を防止するための具体的な管理規則が存在しません。事実上、施肥による環境汚染問題に関する審査基準がないのです。そのために、例えば緑茶の栽培で一般に行われているという10a当たりの窒素施用量が100kg/年を超える農場経営であっても、問題なく農場認証を得ることができるのです。ちなみに、緑茶の代表的な産地である県の調査によれば、緑茶の窒素吸収量は、10a当たり21kg/年程度であると言われています。現実に100kgを超える窒素を施用する農場が多いために、県では、溶脱、有機化、脱膣、揮散などのロスを考慮して10a当たり54kg/年を限度とする基準を策定しています。GAP規範による農場審査では、明らかに54kgを超えていれば、「不適正な行為」と評価しなければならないはずです。
ビジネスモデルとしてのGAPによる農場認証制度
EUREPGAP(GLOBALGAP)の普及
EUREPGAPの戦略
スーパーマーケット独自の農場認証であるテスコのGAP規準を見てきましたが、テスコは、契約農家にネイチャーズ・チョイスという実施規則を要求し、その遵守状況を検査して、問題がなければ、その生産者の農産物の仕入れを可能としたのです。1990年代には欧州の多くの小売業(スーパーマーケット等)がそれぞれ自らの認証規準を取引き農家に義務付けて実施してきましたし、大手の小売業では現在もそれが主流(連載8参照)です。
しかし、実際に取り扱う農産物は、スーパーが出店していない国からの農産物も多く、EU域外の国の農産物も数多く取り扱っています。消費者に対する自社ブランドの確立のために、これら全ての取扱い農産物の農場認証を行うと手間も経費もかかり、小売業が負担に感じるようになりました。そこで登場したのがEUREP(欧州小売業組合)の作ったEUREPGAP農場認証制度です。輸入農産物の取引きに対して「第三者が農場認証を行い、その経費を生産者側に負担させる」というビジネスモデルを作りだしたのです。
輸入農産物の仕入条件として
日本で最初にEUREPGAP認証を取得した青森県の片山りんご(株)は、1999年からイギリスにりんごを輸出していましたが、その契約が決まる前年に、販売先のEWT社(イギリス)から実施規則を渡され、その遵守状況についてEWT社の検査を受けることになりました。EWT社の社員と同社の依頼を受けた検査官が片山農場を訪問し、農場管理の実態について帳簿を閲覧し、計画・実施・記帳、作業現場の状況から従業員のヒアリングまで検査し、問題点を指摘しました。片山りんごは、それらの問題点を全て解決して取引契約がまとまりました。この検査の際の渡航費を含む一切の費用はEWT社の負担でした。
日本のアメリカ系資本のスーパーでは、現在でも買手であるスーパーが経費を負担して農場検査を審査会社に依頼しています。買手にとっては、自社のリスク管理、危機管理のためですからスーパー側の経費負担は当然ということでしょう。
2002年7月にEWT社から片山りんごへEUREPGAP農場認証を取得するように要請が来ました。それは、「農産物を供給するものは、2002年10月までにEUREPGAPに登録し、審査会社と認証審査の契約をして下さい」そして「2004年1月までにEUREPGAPの検査を受けなければなりません」さらに「2005年1月までには、検査項目の“重要事項”に不適合があれば全て是正しなければなりません」という内容で、「これが満たされなければ、今後の取引きはできません」というものでした。
販売側の安心コストを生産側に転嫁
EUの共通農業政策では、2005年から加盟各国で全ての農業者にクロスコンプライアンス(環境配慮要件)を義務化しました。これによって、「農業者が農業補助金(個別支払)を受取るためには、適正農業規範を守らなければならないこと」、「補助金を支払う各国政府は、毎年一定の範囲で農業者に対して査察を行うこと」がEUの法令で義務付けられました。この政策に併せて、EUREP(欧州小売業組合)は、EUREP農場認証制度に参加するスーパーマーケットに農産物を販売する者、特に海外から輸入する農産物に対して農場認証を取得することを仕入れの条件にしたのです。
EUREPGAPによる農場認証制度は、販売店や卸売業者が行っている農場の審査を標準化して、買手側のコスト圧縮を図ろうというものです。現在、GLOBALGAPという名称に変更して運営している国際事務局のFOODPlus社(ドイツ)のクリスチャン・ムーラー氏は、欧州の主なスーパーに呼びかけて、主な小売企業が許容できるGAP規範の最低限度を取りまとめ、そこから農場の認証規準を作ることで、加盟企業の共通農場認証制度を作ったのです。この共通農場認証制度の作業は、1997年にEUREP(欧州小売業組合)の農産物研究チームにより始められました。早くからGAP実施規則に取り組んできたイギリスのテスコは、その推進役を果しています。
EUREPが共通農場認証制度としてのGAP規準を作る狙いは、仕入先農場認証に係るスーパー側のコスト低減です。小売業者は、仕入先の国・地域によって異なる「GAP規範」に対して、自社の仕入れ規準を合わせていくコストと、自社規準の指導と認証のコストなどが負担になります。輸出する農業生産者は、売り先ごとの仕入れ規準に従う煩わしさがなくなります。EUREPは、これらのコストを農産物流通ビジネスに係るコストとして標準化し、全体の金額を削減することを提案しました。そして、そのコストを生産者側に負担させるために農場認証規準を標準化し、第三者認証制度を作ったのです。このビジネスモデルによってISOなどの審査認証会社の認証ビジネスの幅も広がったのです。
GAP規範を利用した仕入基準としての農場認証
EUREPはEU加盟各国のGAP規範を検討し、商業的に利用できる農場認証規準の標準化を考えたのです。各国のGAP規範の中で共通する項目を取り出して規準に反映させています。その内容は、EUが規定する共通のGAP規範と加盟国が規定しているGAP規範の項目です。各国が規定するGAP規範の項目には他の国にはない独自の規定もありますので、EUREPではそれらを除いた規準を共通の規準とすることで、EUREPに加盟する小売業者の許容範囲としたのです。その意味で「EUREPGAP(GLOBALGAP)規準は、EU域内で要求される最低限のGAP規準」と言うことになります。従って、テスコがそうしているように、加盟する多くのスーパーは、自社の認証でグレードの高い商品を仕入れ、EUREPの認証でグレードの低い商品を仕入れて品揃えをしているのです。
このようにEUREPGAP規準は、EU加盟各国が規定している食品安全と環境保全および動物保護などについてのGAP規範を守ることを大前提に作成されています。つまり、EUの共通農業政策が推奨しているCode of Good Agricultural Practice(GAP規範)の遵守、つまりBad Practiceにならないための様々な規則や指令、その他の規定に従うことが第一義であり、その規準の商業的利用として、食品安全のためのHACCP概念を「食品取扱者としての管理要件」に加えたものがEUREPのGAP規準になっています。例えばトレーサビリティとその記録や取引契約などの経営体としての管理が出来ていること、および食品取扱者としての衛生管理が出来ていることなどです。
スーパー業界が作った農場認証のためのEUREP議定書(protocol)
GAP規範に食品衛生管理の要求を加える
EUREP(Euro-Retailer Produce Working Group:欧州小売業者農産物作業グループ)は、正式の認証者を出した最初のEUREP議定書(2001年9月)の前書きで、「先行する環境保全を目的とした多くのGAP規範があるが、EUREP規準はそれらにIPM・ICMなどを組み込んだ農場認証規準(Integrated Farm Assurance)である」といっています。また、この農場認証規準は、「農業界における悪い慣行をなくすことにより、消費者の信頼を得るために、小売業者が許容できる最低限度の規準を示したものである」とも述べています。さらに、「個々の小売業者には、これ以上の規準を求める会社があり、農家の中にはこれ以上の水準を満たしている農家もある」とも言っています。
その意味は、EUREPが示した農場認証規準は、小売業者が我慢できる世界最低のレベルなのだから、「この規準を守れない農業者からは農産物を買いません」ということなのです。そして、これは商取引上の要件ですから、「この規準が全ての農業生産の方法に対する命令ではない」とも言っています。つまり「EUREPに加盟していない小売店に販売する農業者に強制するものではない」ということです。こうした点から、私は、EUREPGAP規準は「商業GAP規準」であると表現しています。
商業GAP規準としてのEUREPGAP規準の特徴の一つは、GAP規準の中にHACCP(危害分析に基く重要管理点方式)の概念を入れたことです。同じ議定書の前書きで「EUREPは、政府の定めるGAP規範の実践を手助けし、HACCPの採用を奨励しています」と言っています。その商業GAP規準は、農業におけるGAP規範の遵守を進めると同時に、「農業生産者は、食品の生産に携わる者として、HACCPは大切なことです」という意味であり、消費者の信頼を維持するために必要な要件として、「この業界(農業)における悪い慣行をなくさなければなりません」と言っており、GAP規準の中にHACCPの考え方を組み込んで食品安全の要求事項としているのです。
GAPとHACCPについて
GAP規準におけるHACCP的概念について、日本では少し解釈にズレがあるようです。「農業HACCP」と称して、農業の生産工程を区切り、各行程の重要管理点を見つけ出し、「HACCPの管理原則に従ってリスクを排除する工程管理を行う」と言うものです。つまり、農業をHACCPで管理してしまおうという考えのようですが、EUREPが奨励しているのは、「農業者も食品取扱い業者なのだから、食品衛生の管理をしっかりとしましょう」ということで、「そのための手法としてHACCPの考え方を管理の方式に取り込んではどうでしょうか」ということです。
農業は自然環境の中で行われており、農作業は一様ではなく、衛生面における厳密な管理が不可能です。従って、HACCPで規定する「ここを抑えればリスク排除できる」という「最重点管理ポイント」が見つからないのが一般的です。従って、農業にHACCPを導入するというものではなく、農業の一連の作業の中には、衛生管理上で特に注意すべきポイントがあるから、予めそれらを認識し、リスク回避の方策を考え、農場の日常の管理の仕組みの中に取り込むことで、可能な限り化学物質や病害微生物などによる農産物への汚染を防ごうということが、現実的なGAPの課題です。つまり、農業にHACCPを導入しようということではなく、「HACCP的な考え方を農業管理の中に取り入れよう」と考えるべきです。ただし、農業経営では、農産物の生産だけではなく、当然、そこで生産された農産物を商品として取り扱います。食品を取り扱う行程では、HACCP的な管理というより、正にHACCPの原則で衛生管理を行うことが求められます。
これまでの農家に求められた「食品衛生」要件
一般社団法人日本生産者GAP協会が、「日本GAP規範ver.1.0」を刊行するまでは、日本には習うべきGAP規範がありませんでした。そのために、日本のGAP規範にもとづくGAPの指導は行われてきませんでしたが、農業現場の実態が、欧州の農業者と比較してそれほど劣るものではありません。
ただし、EUREPが契約農家に求めている食品業者としての商品管理の面については、日本の農業現場では大変問題を抱えているといわざるを得ない状況です。例えば、農産物の商品としての調製・選果・梱包・出荷の作業が、衛生的に見ると劣悪な状況で行われている例が目立ちます。
EUREP議定書で、「この業界における悪い慣行をなくさなければなりません。」、「そうしないと消費者の信頼を維持するための必要な要件を満たしません。」といっていることから推測すると、当時の欧州の農業者も、現在の日本の農業者と同じように、農産物の取扱において、食品事業者としての衛生管理体制が充分ではなかったのかもしれません。
GAP 規範を前提にした農場認証のためのEUREP 議定書(protocol)
取引のための要求事項
EUREPが作った農場認証のための議定書(protocol)は、EUREPに加盟するスーパーなどが承認した「商業GAP規準」文書です。それは、第三者認証のための農場検査のためのチェックリストであり、取引きを希望して認証を受けようとする農業者に対する要求事項になります。
商業GAP規準のチェックリストで、最初に農業者に問うことは「あなたの全ての生産物は、それが作られた畑まで履歴をさかのぼれますか」ということです。スーパーなどのEUREP加盟企業は、農産物の買手ですから、農産物の安全性を確認するためには、トレーサビリティーが必須なのです。
そして、その次に「生産記録がありますか」と聞いています。「生産者は、全ての生産活動においてGAP規範を遵守し、畑から最終消費者まで生産履歴をさかのぼることができることを明示するために、毎日記録をとらなければならない」のです。ただし、「EUREPGAPの登録申請以前の記録は必ずしも必要ない」と言っています。
3番目は種苗についてですが、「品種の選択については、指定された品質水準を満たすよう生産者と買い手の間で合意すること」と規定され、それらが証明できる遺伝子組換えやその他の記録を求めています。
販売店として必要な食品安全の担保
イギリス最大手スーパーのテスコの野菜売り場 |
以上の農産物商品の取引きに関する重要な要件の後に、GAPについて規定しています。「耕作地の履歴と管理」では、「圃場のリスク検討がされているか」、「土壌状態を維持するために輪作を実施しているか」などが問われ、「土壌の管理」では、土壌の鎮圧や土壌侵食の回避、化学物質を用いた土壌燻蒸消毒の回避策などの実施が求められています。
「肥料の使い方」では、投入した化学肥料や堆厩肥などによる環境汚染、特に硝酸態窒素による地下水や河川水などへの汚染について、法令に基づいて厳密に実施するよう、肥料の選択、使用者の要件、使用法、使用の記録、肥料の保管方法などについて詳細に確認します。
「潅漑」では、半乾燥地帯が多い欧州ですから、水資源を節約し、効率的に水を使用するための方法を記述し、採水については水の専門家の意見を仰ぐなど、水資源関連の法令遵守を求めています。
「作物の保護」では、なんと言っても化学農薬を減らすIPMが奨められています。農薬を使用する場合は、法令を遵守して作業者、消費者、環境へのリスクを避けることが基本です。また、農薬の使用は、「法令による国家資格を持つ人か、それに準ずる助言者の指導を受けなければならない」と規定しています。農薬の使用記録も普及員などの指導に従って、実施事実の詳細の他に、当日の気象状況の記録などが求められています。実地棚卸をした農薬の記録簿の保管と空容器の処理、その他防護装置や安全使用について、散布機械の保守、残留農薬検査などについての管理事項が細かく求められています。
「収穫」では衛生管理が最も重要であり、ここではHACCP的管理が求められています。生産環境の前提条件プログラムについて、「リスク認識」と「リスク評価」、評価に基づく実施規則の策定、そしてリスク管理のトレーニングなどです。「収穫後の処理」では、ポストハーベスト農薬の削減と記録についてです。なお、多くの農産物を輸出している欧米では、一般にポストハーベスト農薬が使われていますが、日本ではポストハーベスト農薬は使われていません。
その後は、「廃棄物と公害、廃棄物のリサイクルと再利用」、「労働者の健康・安全・福祉」「環境問題対策」、「法令順守書類と内部監査」という内容で、そのほとんどが「EUの指令に基づいて行政が決めた法令等に従っているかどうか」が問われているのです。つまり、EUREPのGAP規準は、販売店が食品の安全を担保するための「農産物の取扱いにおける衛生管理」を中心にして、その他EU並びに各国のコンプライアンスとしての「環境保全農業」に従っているかどうかが問われているということなのです。
商業GAP規準への理解のために
イチゴにも販売期限が付けられている |
EUREPの議定書では「EUREPに加盟する小売業者は、すでに多くの生産者、生産者団体、生産者組織、地方・政府組織によって開発・改良され、環境に対する悪影響を最小化することを狙った農業システムの大きな進歩を認める。その上で、生産者の環境分野での能力向上のための更なる研究を奨励する」とも言っています。
これは1990年代当初からEU各国のGAP規範に基づいて、行政や農業団体と生産者が本格的に取り組んできたGAPに敬意を払うという意味です。2000年になってから小売店共通の農場認証制度として認証を強制しようとしたEUREPGAPに対して、オランダやベルギーなどの先進地域の農業者や団体からEUREPの要求に対する反発があったことに対するメッセージのようです。
さらに、議定書では、「現在の最善の農業活動の主要な要素を定義するGAP規範の要点が、(EUREPGAP規準によって)現在の農業活動を査定する基準として用いられることで、更なる進歩への指針を提供したいと願っています」と言っています。
これらは、環境保全を目的とする「GAP規範」があって、それを前提としたEUREPの「GAP規準」が、農場認証の検査を通して、環境を保全し持続可能な「最善の農業活動」の進歩に貢献したいという意思表示と読めます。
環境保全が目的の欧州GAPを「食品安全GAP」としたための矛盾
「人と環境に優しい」GAP規準
「EUREP議定書」(Euro-Retailer Produce Working Groupが作った農場認証のためのプロトコル)の要求事項の内容を良く見てみると、「化学農薬の選択に当たっては、目的とする害虫、雑草、病害に効果があり、家畜や野生動植物、有益な微生物、水棲生物、農作業者、消費者への影響が少なく、オゾン層を破壊しない農薬を選択すべきである」と言っています。つまり、直接的・間接的に環境汚染の少ない農薬を選択し、その農薬を適切に使用することを求めているのです。欧州では、消費者への影響についても、農薬を使用する結果として農産物を汚染しないことに勿論触れてはいますが、それは農作業者への影響や環境の動植物への配慮と同レベルであり、人と地球環境の全般に亘って農薬汚染を防止しなければならないという「GAP規範」の主旨に基づく考え方になっています。
しかし、日本では、一般にGAP規準(農場認証のためのチェックリスト)においてさえ、「農薬は、食品安全のために適切な管理をしなければならない」と食品安全が強調されており、欧州の考え方とかなりの隔たりがあります。
GAP規準には、一般に農薬保管の管理ポイントとして「農薬の環境への流出防止対策」の項目があり、農薬の流出防止のための禁止項目や二次被害を防止するための対策項目などがあります。日本では、これらのチェックリストを見て「食品安全のためには当然必要」と解釈し、その対応策をとることが多いのですが、実際にGLOBALGAPの農場審査を受けてみて分かることは、「流出した農薬が農作業者に危害を及ぼし、農場の外部に流出して河川や湖沼を汚染し、土壌中に浸透して地下水を汚染してはいけないので、これらを防止する措置を幾重にも実施することを求めている」ということです。「農薬がこぼれる様な状態で保管してはいけません」、「万一こぼれても汚染の範囲を小さくしなさい」、そのために「こぼれた農薬をいち早く回収できる道具を準備しておきなさい」、「回収した農薬や回収に使用した道具は、安全にかつ適法に処理しなさい」などという「人と環境に優しい農業」のための遵守基準が規定されているのです。
GAP規準の妥当性はGAP規範にある
「食品安全GAP」というイメージで、環境や人に対する安全対策をGAPの二次的な課題と考える日本のGAP概念では、上記のような農薬保管管理の対応に関しても、環境保全が疎かになる傾向にあります。つまり、GAP規準の目的が「食品安全」が最重点になっているために、それに従う現場の対応も、またGAPを指導する側の評価内容においても、「GAP規範」で示した本来の意味を軽視または無視することになってしまうのです。
実際に、日本では「食品安全」には慎重ですが、農薬の取扱いにおいて「環境保全」の認識が薄い農業者や指導者を多く見かけます。例えば、作業中に誤って漏れ出した農薬を水で洗い流して下水に捨ててしまうとか、余った農薬の希釈液や農薬散布機を洗浄した水を結果的に排水路に流してしまう人がいます。また、水稲の育苗箱に施用した殺菌剤を施設内の側溝に流しているために、結果的に農薬が農業用水路に入ってしまうというような重大な誤りを犯している様々な事例があります。
そのような人々でも、異口同音に「GAPに取り組んでいるので、食品安全には大いに気をつけている」というのです。環境保全が目的のGAPを「食品安全GAP」としたための農業現場の誤解であり、「GAP規範」と矛盾する結果になってしまうということです。
本来、農場管理のチェックリストとして表現されたGAP規準は、そもそも「GAP規範」に従っているものです。ところが、農業生産者が「GAP規範」を正しく理解せずに、その意味を取り違えていたとすれば、例えチェックリストで確認したところで、Good Practice (適正管理)ではなく、Bad Practice(不適切な行為)、つまりGAPの不適合になってしまう場合があるのです。
そもそも日本で使われているGAP認証制度や、生産現場で実際に使われているチェックリストは、どの「GAP規範」に従っているのでしょうか。2002年頃から日本国内で次々とGAP規準が作られてきましたが、その多くはEUREPGAPまたはGLOBALGAPの農場評価規準をモデルに作られているようです。そうすると、日本のそれぞれのGAP規準も、GLOBALGAPと同じく、欧州の「GAP規範」に準拠しているということになります。
本当にそれで良いのでしょうか。実際にGLOBALGAPの農場評価規準にならっているとすれば、人と環境への汚染を無くすための欧州の「GAP規範」を理解しなければならないということになります。しかし、欧州の「GAP規範」を理解したとしても、農業や環境が大きく違う日本では、この点においても大きな矛盾が発生することになります。
肥料の管理も食品安全のためになってしまう日本のGAP規準
GLOBALGAP農場評価規準の肥料に関する要求事項を見てみましょう。肥料に関する要件では、「作物・土壌保全計画は、肥料成分の流出を最小化する」、そのために「作物が必要とする肥料成分と量を考慮し、定期的に土壌や作物、培養溶液の成分査定を行う」、「有機・無機肥料の区分にかかわらず、肥料の適用は作物に必要な分のみを投与する」ことを要求しています。窒素やリンなどの肥料により環境を汚染しないようにするために、どのような農業を行うべきかが問われているのです。
欧州では、肥料による環境汚染を確実に防ぐために、「肥料の使用は、国家資格を持つ人の助言を受ける」ことを条件にし、「農地の位置、使用日付、肥料の種類と品質、適用方法、施用者名を記録する」ことを義務付けています。肥料の使用に関して具体的に、「窒素肥料を与える際には、国内外の投与の限界基準量を超えないこと」、「窒素の量は、窒素管理計画によって算出すること」が求めています。また、「肥料の散布機械は、毎年重量精度検査を行うこと」を求めています。正に環境保全のために、『EUの法令と「GAP規範」に従わなければならない』と規定しているのです。
このようなEU農業独特の管理項目についても、EUの農場評価規準を額面通りに規定している商用のJGAP認証規準では、その説明に窮しています。食品安全のために農薬散布機の検査をするというのなら理解ができないわけではありませんが、肥料散布機でなぜ検査が必要なのかと考えてしまいます。説明に窮したGAP指導者は、模範となっているEUの「GAP規範」についての理解がないためか、本来のGAP規範の意味をねじ曲げて、「世界標準だから仕方がない」と決め付け、「機械がちゃんと稼動するように点検していれば良いです。ただし、ちゃんと記録を残して下さい」などと誤った指導をしてしまうことになりかねないのです。
EUの農業政策であるGAP規範が民間GAP認証で農産物輸入の条件になる
法令遵守はGAPの重要要件
GLOBALGAP農場評価規準の肥料保管に関する遵守事項を見ても分かるように、「肥料は水源への流出の危険のない場所に保管すること」が重要課題です。また、「窒素管理計画」を超える余分な窒素が圃場に投与がされていないことを証明するために「毎日肥料の在庫の記録」をすることなどが求められ、いずれも「肥料による環境汚染を如何に減らすかのための管理規定」であることがよく判ります。「露地栽培の場合は肥料管理計画が必要」ということは、硝酸態窒素による地下水汚染や河川の汚染をさせないことがGAP規範上極めて重要な課題であることを示しています。農業者による環境保全の法令遵守は、クロスコンプライアンスの要件になっています。
GLOBALGAP農場評価規準の中には、廃棄物の処理や自然環境の保護計画など明らかに環境保護に特化した管理項目もありますが、農薬の取扱いも肥料の取扱いも、基本的には環境を汚染させないための遵守規定なのです。農業生産を行う上で、環境も人も健全であれば、結果として、商品としての農産物の安全も保証されることになるのです。
GLOBALGAP農場評価規準は、第一義的には食品安全が目的であると言われていますが、EU内で義務化されている環境保全を目的としたGAP規範を遵守する生産者の農産物を取り扱っているということも、スーパーが消費者の信頼を得るための要件です。
GLOBALGAPの社会的な位置づけ
GLOBALGAPは2007年に、設立時のEUREPGAPを名称変更して再スタートしました。欧州のスーパーが主導する任意団体ですから、その運営機関がいわば勝手に名称変更をしただけです。ですから、名称が変わっても、GAP農場評価規準の内容や、認証の仕組み、組織の運営などは、本質的には変わっていません。相変わらずEUREP(欧州小売業農産物部会)のための商業的農場認証制度です。
そもそもGAPは、農業者が法令や科学に基づいて行う適切な農業の行為であり、それが適切であることを規定する規範が、EUや加盟各国が規定しているGAP規範です。このGAP規範に基づいて農業者を検査しようとするGLOBALGAPは、GAP規範に基づくGAP規準を使って農場認証検査を行い、その農場の健全性を確認することで、消費者には取り扱かう商品の安全性をアピールしようとしています。そのために、GLOBALGAP農場評価規準では、GAPに加えて、農産物の食品としての取扱いにおいてはHACCP的な管理を生産者に要求しています。
日本では、このような背景が充分に理解されていないために、単純に「GLOBALGAPは、世界の標準GAPである」などと誤った説明がされることがあるようです。
この欧州におけるGAP普及とGAP規準の商業利用について考えて見ます。1990年代初めに、欧州の共通農業政策CAPの「環境保全対策」として各国政府や地方政府がGAP規範を作成し、農業の不適切な行為(Bad Practice)に対して法的規制を行い、また、農業の適切な行為(Good Practice)を実施させるために営農指導とその支援を行ってきました。
1991年のEU硝酸指令やEU作物保護指令による規制であり、1999年の営農指導補償基金による農業技術指導員制度などです。もちろん、環境保全に対する農業者への直接支払いという農業政策が大前提になっています。
このようにEUの法令遵守として農業者のGAPが普及するに従い、小売業者が生産者によるGAPの実施を農産物取引の条件にしてきました。その際の農場評価規準が小売業者ごと、各国ごとのGAP規範ではグルーバル企業はやりにくいからと、その後の一層のGAPの普及を背景に、EUREPがEU加盟国のどの国にも当てはまる部分の最低規準を作り、共通の取引規準としてEUREPGAP農場評価規準を作ったのです。
EU共通農業政策と民間認証の関係
EU内では、法令遵守としてのGAPの実施が2005年までにほぼ普及しました。EUで農業者に直接支払われる補助金は、デカップリングとして農業生産とは切り離された環境支払いです。クロスコンプライアンスでGAPが義務化されて以来「GAPは農業者のマナーである」といわれるようになりました。そして今やGAP以上の環境保全が目標となっています。
それを機に、EUREPに参加する小売業者は、2005年から輸入農産物に対してEUREPGAP農場認証の取得を条件付けることになったのです。これは、見方によっては、巧妙な国際戦略かもしれません。世界の貿易交渉においては、国内農家への生産補助金や輸入農産物への関税では対抗できなくなっています。しかし、民間レベルで行われている仕入基準で、欧州の生産者が当然に行っているGAP農場評価規準による農場認証ですから、消費者のためにも、輸入農産物に対しても同じ条件を課することは何ら問題がありません。農産物流通がグローバル化することによって、こういうことが可能になったといえます。EUREPに加盟するスーパーは、輸入農産物に対して、最低でもGLOBALGAP農場評価規準の遵守を要求することとなり、欧州のEUREP加盟スーパーに農産物を輸出する生産国において、GLOBALGAPはますます普及することになったのです。
アジアでもアフリカでも中南米でも、もちろんオセアニアでもGLOBALGAPの普及が伸びています。日本では、この現象から、GLOBALGAPは正にグローバルスタンダードであると思っている人がいますが、それは正しくありません。GLOBALGAPに取組んでいるのは、欧州に、しかもGLOBALGAPに加盟している小売業者に販売している生産者や産地です。 アメリカなどでは、GAP認証は、第三者認証ならとりあえずどれでも良い、という小売業者がいますが、基本的にはGLOBALGAPに加盟している小売業者だけです。
欧州のGAP指導者養成
EUでは、1999年に「欧州営農指導補償基金による農村開発への助成規則」が制定され、2000年には「農業技術員」による農業者に対する農業技術情報の支援が開始されました。これによってイタリアやスペインでは農業者に対するGAP実践の強化体制が整いました。農業者は、農業技術員の指導に従って「環境の保全」、「食品の安全」、「動物の福祉」、「作業者の安全」などを確保する適正農業の実践を行っています。
イギリスの環境・食料・農村振興省のクロス・コンプライアンス担当者(Martin Devine)によれば、「イギリス政府は、農業者にクロス・コンプライアンスを理解してもらうために、電話によるヘルプラインや、ホームページ、メールでの応答体制をとっていますが、現場での指導は、農業技術員(日本では農業普及指導員にあたる)が行っている」ということです。農業技術員の利用は有料であり、生産者農場を個別に指導していて、生産者は技術員に対する信頼が大変厚いので、「政府としては技術員に対するGAPに関する教育を重視している」ということです。
EU加盟各国の農業技術員制度では、農業技術員が、農業者に対する農業技術の情報サービスを提供してGAP規範の遵守を推進するとともに、スーパーマーケットなどが要求する「取引要件としての農場認証規準」の遵守を指導する役割も果しています。GLOBALGAPの農場認証では農場内部での検査や監査を認証の必要条件としていますが、スペインやイタリアでは、生産者グループの指導を担当する農業技術員が、事実上の内部監査員の役割も果していることも多く見かけられます。
GAP教育訓練(EUの事例)
EUの加盟各国では、農業者が農薬や肥料などの化学物質を取り扱うためには、そのための免許を持たなければなりません。
イギリスには、現在のGAP規範の本となった「農場での農薬安全使用と所持のための実施要綱:Code of Practice for the safe use of pesticides on farms and holdings,1998」という行動規範があり、農業者の農薬取扱いに関する適切な実践方法が具体的に記述されています。農業者がこの規範に基づいて、安全・有効で環境に配慮した農薬使用ができるようになるために、然るべき教育・訓練を受けて、その免許を取得しなければならないことになっています。この免許の取得は、「食品及び環境保護法:Food and Environment Protection Act,1985」と「職業保健安全法Health and Safety at Work etc. Act:1974」により、農業者の義務となっているのです。
このような資格を認定するための訓練は、大学やコンサルタント会社が行っています。基礎コースとして、農薬の法律、ラベルと文献の読み方、取扱法と保管法、防護服、農薬の廃棄、使用記録、環境要因、物質規制などについて学び、実践コースとして、防護装置・散布装置の調整・手入れ、散布機の安全使用・圧力設定、環境への影響要因などについての教育・訓練を受けます。この訓練が終了したら免許取得の試験を受けることができます。試験の実施と免許の交付を行う機関は、国立技量検定委員会(スコットランドでは技量検定サービス)です。
GAP教育訓練(アメリカの事例)
アメリカ合衆国にもEUと同じような農業者資格認定制度があり、農業者は既定の教育訓練プログラムを経て認証試験を受け、ライセンスを取得することになっています。教育訓練プログラムは各州の農業関係機関が行います。主な内容は、農薬の安全使用、動植物の絶滅危惧種について、水質の保全、環境の保全などについて学び、農業における有害生物と駆除の実務、農薬と容器の適切な貯蔵と使用の実務および農薬の取扱いと廃棄処分、農薬事故への対応などのトレーニングを行います。資格認定の試験と免許証の交付は、主に州ごとに行われていますが、州政府が実施していない場合には、連邦政府が行っているようです。
GAP教育訓練(日本の事例)
日本には農薬管理指導士や農薬適正使用アドバイザーなどの資格認証制度があります。これは、農業従事者、農薬販売業者、防除業者、ゴルフ場業者などで指導的な立場にある者が、農薬の適正な使用を助言したり、指導を行うことを目的としています。都道府県が開催する「農薬管理指導士養成研修」を受けて認定試験に合格すれば知事から認定されます。有効期間は、多くの都道府県で3年間、更新を要する都道府県では更新研修の受講が必要とされています。研修で講義される主な内容は、農薬の特性、農薬取締法第12条に定める使用基準、当該都道府県の農薬安全使用指導指針、毒物および劇物取締法による毒物・劇物の指定を受けた農薬の安全使用・取扱い、特に注意を要する農薬の安全使用、病害虫と雑草の適正な防除法、農薬使用に伴う人・畜に対する危被害および環境汚染の防止などです。
日本に当てはまらないGLOBALGAP認証の基準
EUの法令や、欧州の農業事情をベースにしたGLOBALGAPの農場審査規準やそれをベースにしたJGAPの農場審査規準では、「農場で使用する農薬や肥料を決定する人は、公的な資格を持っていなければならない」といっています。それがない場合は、公的な資格を持った人のアドバイスに従って資材を決定しなければならないと規定しています。
欧州の場合、ほとんどの農業者が免許を取得しており、免許を持っていない場合は農業技術員の指導のもとに農業が行われていますので、取引要件としてのGLOBALGAP等の農場認証では当然「適合」になります。
しかし、日本の場合は事情が異なります。農薬管理指導士は、農薬を使用する者に対して、農薬取締法やその他の法令の遵守などについての指導や助言を行うことを主な任務としているからです。このための研修および受験の対象者も、「生産部会などにおいて指導的立場にある農業者」とされています。教育訓練と資格取得の対象を一般の農業者にしていませんので、欧米の取組み実態と比較すると、日本の資格取得者は圧倒的に少ない数です。したがって、日本において、欧米流の農場審査規準をそのまま取り入れると、ほとんどの農業者は認証規準に「不適合」になってしまうでしょう。
スペインにおけるGAP指導者養成の実態
スペインのアンダルシア政府は、2000年に農業技術員制度を開始しました。農業技術員の資格要件としては、大学で農学または微生物学を専攻した人で、一定の農業経験を経て75時間の技術員になるための専門研修を受講すれば農業技術者認定試験を受けることが出来ます。それに合格してはじめて農業技術員となるのです。農業技術員は、農協に就職するか、農協や生産団体などから業務委託を受けて農業者に対する農業技術の支援を行います。技術員一人当たりが担当できる範囲は農家数と耕作面積に制限があります。
農業技術員の位置づけは準公的なもので、農業技術員の報酬の半分はEUの補助金で賄っています。このような補助金の使い方はイタリアなどでも見られますが、イギリスでは例がないようです。この農業技術員がいることで、事実上のGAPの指導とGAPの実践、そしてGAPの検証が行われているのです。農業者はその過程で農業技術員から個別の技術指導を受けるのです。この農業指導体制の下でGAPが求める具体的な技術、例えばIPM(総合的有害生物管理)などが指導されています。
アンダルシア政府は、2005年に環境保全型農業の「IP認証制度」を開始しました。EUの新たな農業政策のターニングポイントが2005年であることはこれまでも述べてきました。EUは、GAPは「やって当たり前の農業者の最低限のマナーである」とし、農業者に直接支払う環境支払を2005年に「GAP以上の行為に限る」と決めました。農業者は、直接支払いを受けるためには、GAP以上の行為でなければなりません。2010年現在では、化学農薬から生物農薬への転換を図った「新農法」の促進が、農業技術員の最も重要な仕事の一つになっています。
スペインにおける農業者に対するGAP教育訓練と認定制度の実態
日本では、「欧州の農家は経営規模が大きいからGAPが出来る」という意見がありますが、イタリアでもスペインでも、果樹や野菜農家は家族経営型が多く小規模です。1ヘクタールの農家もあります。アンダルシアでは、平均で約1.5ヘクタールだそうです。こういった農家が、農協や企業的な取組みの農業会社に登録・所属して、農業技術員の指導の下に農場認証を受けて農産物を販売しているのです。
右の写真の農業者・ジョアン氏は、夫婦と雇用者2人の合計4人で、1.5ヘクタールの施設で野菜を栽培する平均的な農家です。農業者としてのライセンス・カードを持っています。この認定カードを持っていれば、肥料や農薬を買うことができます。アンダルシアでは、農業者のライセンスがなければ、肥料や農薬が変えないということです。このライセンスを取得するためには、90時間の研修会に出席しなければなりません。ここでは、病害虫の生物防除、安全な農薬の取扱、食品の安全管理、労働安全と福祉、正確な記帳などの教育を受けます。規定の受講を終了すれば、認証試験を受けることが出来ます。ライセンスは10年間有効ですが、年に1回、農場管理の抜打ち検査があり、問題があれば注意や勧告、その他の指導が行われるそうです。ジョアン氏は、今まで問題を指摘されたことがなかったということでした。
農業者は、常に新しい情報を入手するなど、知識の向上と計画的な管理を行わなければなりません。このように、GAPは農業者の最低限のマナーですから、やって当たり前になっています。それよりも2005年以降は、GAP以上の行為、環境便益となる適正農業管理(積極的な環境保全農業)の実践の時代に入っているのです。
EU の持続的農業のためのGAP と日本の食品安全GAP
価格支持政策から環境政策へ転換してGAPを義務化したEU
EUの共通農業政策では、その時代の農業のあるべき姿、期待される農業とは何かを考え、常に新たな政策を展開してきました。また、消費者が求める「環境に優しい農業」、「安全な食品」を提供し続ける信頼に足る農業を求めて、少なくとも農業による人や環境への汚染を起こさない農業が適切な農業であるとして、GAP(適正農業管理)に政策として取り組んできました。そして現在は、GAP以上の環境に便益のある農業行為を目指して農業振興策をとり始めています。
1970年代に農産物の輸入国から自給国になったEU(EC)各国は、80年代にはアメリカと並ぶ農産物の輸出国となりました。1986年から始まったGATT(関税および貿易に関する一般協定)の多角的貿易交渉であるウルグアイ・ラウンドでは、EU農産物の市場開放や輸出補助金の削減が強く要求され、EUは農業政策の転換を迫られました。この中でEUは、1992年からのマクシャリー改革で、域内の共通価格を引き下げ、それによる農業者の所得の減少を補うために休耕義務を条件とした生産者への「直接支払い制度」を開始し、ウルグアイ・ラウンド交渉の妥結に至ったのです。
その後、2001年から始まった WTO(世界貿易機関)農業協定では、EUの直接支払いは、「一定の面積及び生産に基づいて行われる支払い」「一定の頭数について行われる家畜に係る支払い」であり、国内助成を削減する約束の対象とはならないとされ、EUの農業共通政策は、2003年に大改革を迫られて、直接支払いが「デカップリング」になりました。これは、各作物の作付面積や家畜頭数といった生産要素から切り離し(デカップリング)して、農業者の所得補償を行うという「単一支払制度」(Single Payment Scheme)の導入です。その際に、最低限取り組むべき環境基準(Good Farming Practice)が義務化され、2005年には、EUの全ての農業者は、単一支払を受けるための要件として、GAP規範(Code of Good Agricultural Practices)の遵守が義務付けられ、クロス・コンプライアンスが開始されました。クロス・コンプライアンスでは、毎年、耕種農家数の1%、畜産農家数の5%の抜き打ち査察があります。査察では、圃場記録や書類と現状検査(記帳保管、圃場枕地と耕作が水路に近すぎないかなど)、圃場面積や栽培作物のチェック(生産計画書と実績との対比)などが行われます。査察で違反が確認されれば、補助金の一部カットや支払い停止などのペナルティーが課せられます。
日本の期待される農業の変遷
このような視点でみると、日本ではどうでしょうか。1960年代は、欧州と同じように農業の近代化政策が進められました。生産基盤を整備して大型の機械を導入し、品種改良と化学肥料・化学農薬の使用によって農業の生産性を飛躍的に上げてきました。その結果、「農業基本法」の施行からわずか10年で米の生産が国内消費を満たすことになり、間もなく減反政策へと転換することになりました。農産物の収量を増やせば収益が上がった「食料増産」の時代から、1970年代以降の日本農業は、栄養価値や美味しさが求められる「品質競争」へと移行しました。美味しい米を求めてコシヒカリやササニシキなどにシフトし、野菜や果樹では、「美味いは甘いに通ずる」と、糖度の高い農産物作りに移行したのです。この際に、新たな品種には新たな病害虫が現れ、新たな農薬の開発も進みました。中には、毒性が強いもの、いつまでも分解しないもの、発がん性のものなど、人に対して健康被害をもたらすものなどが明らかになったこともあり、70年代、80年代には農薬による人への健康被害が社会問題化しました。美味しさを求めても、行き過ぎはダメということで、「農業の健全性」が問われるようになったのです。それ以前は、「農業が環境を守っている」と言われることが多かったのですが、1985年頃からは、農業由来の環境汚染が確認されて、その対策が迫られることになりました。
自然循環型農業、持続型農業、そのための減農薬、減化学肥料が叫ばれました。現代農業のマイナス面が目立ち、期待される農業の目指すところは有機農業であるという考え方もありますが、生産性、経済性の面から有機農業への大転換はならず、消費者向けには、減農薬、低農薬、無農薬などのラベルが横行する事態となって、これもまた社会問題化しました。
これらの商品表示を規制するために2001年には「特別栽培農産物」の制度が作られたわけですが、その後、O-157やBSE、無登録農薬などの食の安全に係る事件が頻発し、環境問題だけではなく、農産物の食品としての安全性についての不信感が蔓延し、農業生産現場における農産物の安全性の管理が重要な政策課題になりました。
消費者の信頼を獲得するための日本の食品安全GAP
消費者の意識や流通の現場では、この食品安全の課題と減農薬の目標が一体化して、農薬は身体に悪いから農薬を減らすまたは使用しないことが、食品の安全対策であるかのように思われる風潮があります。2000年以降の日本では、「食品安全」ということが期待される農業の基本テーマになり、最近の農業政策の「消費者起点」という視点からは、「食品安全」は最も大きな課題の一つとなっています。ここでの関心事は、「食品そのものに危害物質が含まれていないかどうか」のようであり、農業に対する消費者の信頼を得るためには、食品安全GAPの推進や食品のトレーサビリティシステムの普及など、食品そのものの安全性を確保するための政策が重点になっています。
「環境規範」を「GAP規範」と言わない日本の政策
期待される農業およびそれに応える適正農業の実践という視点で見ると、現代の農業がおかれた現実は、農業に起因する環境汚染がすでに深刻な状況となっており、国や都道府県の政策としても様々な取組みがされています。2005年には、農水省で「農業環境規範」が作られ、名目的なものですが農業者へのクロス・コンプライアンスとして位置付けられていますし、都道府県においても環境保全型農業への取組みや、持続的農業生産システムの研究も様々な視点で取り組まれています。
これらの取組みは、EU共通農業政策では、正に「GAP規範の遵守」なのですが、日本では、このような「期待される農業」、「目指すべき農業」をGAP(適正農業管理)とは言っていません。日本の農業政策では、GAPはあくまでも「食品安全を確保するための農業者の経営管理システム」が主要なテーマであり、その過程で環境保全や労働衛生も考慮することとされています。縦割り行政の中で、「食品安全」と「環境保全」が別々の農業政策として展開されたのでは、農業者が取り組むべきGAP(適正農業管理)が見えて来ませんし、深刻になりつつある農業地帯の環境問題も解決されません。
日本の適正農業管理は「真の持続的農業」を確立すること
期待される農業としてのGAPを考えてみますと、食糧やエネルギーの危機が問題になっている今、食品の安全性を確保するためには、地球の安全性を優先的に確保しなければ達成出来ないとい考えるべきです。原子力発電所の事故による放射性物質の放出・拡散は、そのことを如実に物語っています。
GAPにおける具体化では、農業による環境への負荷(環境汚染)を無くすことに加えて、農業の多面的機能や生物多様性の助長などです。そのために、自然環境の保護、景観の形成、保健休養、水源の涵養など、国土保全機能にも関わる課題への取組みが推奨されています。東京大学の生態調和農学機構ではGAPが研究テーマとなり、より具体的な政策提言などが期待されています。
拡散汚染源である圃場の管理者は農業者です。農業経営体の取組み次第で変わる農業環境問題は、GAP(適正農業管理)の考え方を持たない限り解決の道はありません。農業者が認識し、知識を獲得して、自らの意志として適切な行動を取らなければ、農業由来の汚染問題は解決しません。単に「生産工程管理」という技術的な問題としてGAPを位置づけていたのでは、真の持続的農業にはならないし、次世代に期待される農業の創造にもつながらないと思います。
農林水産省は、2008年に、農業生産活動による環境負荷の発生リスクについて提言しています。農機具による土壌の鎮圧、プラスチック等による炭酸ガスの排出や生活環境汚染、施肥による硝酸性窒素の汚染と一酸化二窒素の排出、農薬の使用による土壌と水質汚染、野生生物への汚染など、農業による環境汚染の問題を指摘しています。大気や土壌や河川・湖沼・地下水を汚染しており、これらを無くすためには、環境を重視した農業生産が必要であるとして、資源循環型農業の必要性を訴えています。
今まで、生産性を上げるために実施してきた農業の中には、Bad Practice(悪い行為)になっている部分がありますから、これからは、「Good Practice(良い行為)にしていきましょう」という提言です。これは、正にGAPの推進にほかならないのですが、推進する側の農水省が「GAP」という言葉を使っていません。それにもかかわらず、食品安全を確保するための農業者による生産工程管理の作業をGAPと呼んでいるので、さらに認識のずれが大きくなっています。まさに縦割り行政の弊害と言っても良いでしょう。GAP実践の最小単位である農業者は、環境保全と食品安全などを有機的に関わりあう一連の課題として総合化し、自らの農業経営において一体的な解決を図ることが必要です。
日本では食品安全のためにGAPが推進された
アメリカの手法を取り入れた農林水産省
日本のGAP推進を振り返ってみますと、2004年に農林水産省消費安全局が「生鮮農産物安全性確保対策事業」として「野菜衛生管理規範」を作成したことが初めてです。それはアメリカ型の食品衛生管理手法を取り入れたものです。アメリカでは、農務省(USDA)が、実際に各農場が適正運用規範(Good Handling Practices、GHP)を適用しているかを審査・認証するようです。この規準は食品医薬品局(FDA)が1998年に発表した「微生物による生鮮青果物の食品安全性への危害要因を最小限にするための手引き」を基にしています。その名の通り、野菜や果物の食品としての安全性を確保するためのもので、EU加盟各国の「GAP査察」にあるような生物多様性の維持や動物福祉などとは無縁のものです。食品安全でも抗生物質やホルモンの使用に関しては触れていません。この「生鮮青果物食品安全の手引き」は、農家に対して責任を求め、GAPやGHPに固執していた卸売業者たちの強い要請があって作られたと言われています。
日本における「生鮮農産物安全性確保対策事業」の普及においては、「農業HACCP」などとも言われていました。それを基本にして、2005年には「食品安全のためのGAP策定・普及マニュアル」が発表されて、都道府県へのGAPの普及が開始されています。翌2006年には、「入門GAP」という農場管理のチェックリストが発表され、都道府県のGAP普及事業では、チェックリストを農家に配って自己チェックさせることが「GAPの導入」として取り入れられたのです。
欧州のGAPに学ぶ
2005年当時、筆者は、EUREPGAP認証制度を参考にして日本農業の健全性を推進しようと考え、GAPに取り組む日本の生産者GAP団体として「JGAI(Japan Good Agricultural Initiative)」を創設して「JGAP農場認証制度」を開始していました。農林水産省消費安全局のGAP担当者から行政が取り組むGAPについて意見を求められ、筆者は次のようなアドバイスをしています。
EUで始まったGAPというものは、『①農業技術由来の環境汚染対策が主であること。②生産者は行政のGAP規範を遵守して農業を行えば良いこと。③小売企業が政府のGAP規範にHACCP概念を付加して農産物の仕入条件にしていること。④小売企業の認証経費が生産者に転嫁され、日本の農家ではまかないきれないこと。⑤日本の農業規範に合わせた審査規準が必要であること』、したがって、『⑥農林水産省は、食品安全のためだけのGAPではなく、環境保全のためのGAPにも取り組み、その規範を作るべきである。そのためには、⑦イギリスのDEFRA(環境・食料・農村地域省)に学ぶことが良い』と勧めました。担当者は早速渡航し、約2週間の欧州GAP調査を行っています。
食品安全政策が消費安全局から生産局に移行
近年では稀にみる長期政権となった小泉政権から、2007年に安倍政権となって、さらに総理官邸への権力集中を強化しようとしたようです。「21世紀新農政2007」が発表され、農政の「骨太政策」の5本柱の一つにGAPの普及が入りました。そして、GAP政策の担当部署が、それまでの消費安全局から生産局に移っています。GAPは、骨太方針「食品の安全と消費者の信頼確保に向けた取組みの充実」の中で「農業生産工程管理手法」として位置づけられ、チェックリストは、「入門GAP」から「基礎GAP」へとバージョンアップされました。
しかし、GAPの担当部署が、消費者起点である消費安全局から、農業振興の生産局に移っても、GAPの内容は「食品の安全性の確保に向けた取組」のままです。この政策には、2つの目標があります。
一つは、「消費者の信頼確保」のために、広く国民から情報提供を受ける「食品表示110番」の体制を充実することと、食品表示に特別Gメンを新設して、監視体制を強化するというものです。
二つ目は、「生産から食卓までの食品の安全性の確保」のために、農業分野では、2011年度までに、約2,000の主要産地で「農業生産工程管理手法(GAP)」の導入を目指すというものです。
ここでの消費者の信頼は、食品の安全性を確保することだけであり、農業生産に係る環境汚染をなくすことによる消費者の信頼確保については一言も触れていません。加えて、畜産分野では、2013年度までに、全国の5,000農場で「危害分析・重要管理点(HACCP)」の実施を目指すというのですから、この政策は、農畜産物の安全を確保することが目標なのです。 2010年には、「GAPの共通基盤に関するガイドライン」を発表し、食品安全、環境保全及び労働安全に関する工程管理として取り組むべき事項を示し、法令等の根拠を明らかにしました。それでも、食品安全が第一であり、農業由来の環境汚染に対する「汚染者負担の原則」には触れていません。
複雑に歪むGAP行政
日本政府が提案するGAPは、EUの共通農業政策としてのGAPとは全く異なる内容のものなのです。また、それはEUの小売業界主催の農場保証制度としてのGAP認証規準とも異なっています。GAP概念の本質である「現代農業が環境に与え続けている負荷をゼロまたは大幅に軽減する農業活動」という原点から離れているものなのです。
そもそも、あるべき農業の姿としての「GAP規範」が示されていないために、期待される農業の姿としての持続的農業生産システムの構築などがイメージできません。
日本政府がこのようにGAP概念を矮小化し、食品安全のための対策にしてしまったのは、O-157による食中毒事件、BSE発生のショック、無登録農薬事件など食の安全性に係わる問題の多発で、食品の安全性確保への関心が非常に高まったことへの対策として取り組んだ政策だからです。
それらに応えて、「食品トレーサビリティ・システム」作りが奨励されました。しかし、農林水産省が奨励したトレーサビリティは農産物と言う「物」の取扱いではなく、「コンピュータシステム」の構築が中心で、農業や流通の現場より、ネットワーク上のデータベースを中心としたシステム作りとなり、物の管理がうまく行った事例が少ないように思います。
消費者の信頼を確保するためには、トレーサビリティで商品を追跡・訴求できるだけではなく、食品への危害の原因を元から断たなければいけないという考えの元に、食品の安全性確保の対策として、冒頭に述べましたように、アメリカ型の食品衛生管理方式を導入しました。ここで「GAP」と名付けたのが齟齬の始まりのようです。
この時点では、「食品安全GAP」と称して、GAP全般を示すものではないことを強調していたのですが、生産局に移行してもその本質は変わりませんでした。それは、環境対策が別の部署が所管しており、ごく簡単なものですが「農業環境規範」が作られていたからです。この規範は、生産者に対する様々な補助金のクロスコンプライアンス(環境配慮要件)として、2005年に農業者に実施を義務付けた「環境と調和のとれた農業生産活動規範」です。EUで実施されている環境支払・個別支払は、義務としてのGAP規範以上のGAP規準、環境や景観に対する明らかな便益となる行為を規定し、GAPをクロスコンプライアンスの要件としています。
政策の開始時期は2005年であり、EUのクロスコンプライアンスの本格実施と同じですが、周知のように、日本の環境規範は厳密な規範ではなく、検証する制度も仕組みもなく、事実上ほとんど機能していない政策になっており、EUのものとは比べ物にならない、似て非なるものです。
要求者によって異なるGAPの意味と農場認証制度
期待する立場によって異なるGAP制度
2002年頃に日本に入ってきた適正農業規範(CoGAP)の概念ですが、この連載で見てきましたように、日本では、EU共通農業政策としてのGAPの考え方ではなく、欧州小売業団体(EUREP)の商業的農場認証(Farm Assurance)のための、GAP実践を模倣した取組みになっているので、GAPに関わる人の立場によって「GAPの意味」が様々に解釈され、多様な概念がそのまま現場に伝えられているようです。そのため、GAPの企画者、説明者によってGAPの内容が大幅に異なっています。
少し古いデータですが、代表的なGAP制度を2008年当時にまとめた表「日本の様々なGAP制度」を上に示しました。GAP(適正農業管理)は「期待される農業」が目標ですが、期待する人が誰なのかによってGAP制度の内容が変わってきます。大きく分けると、農業者によるGAP制度、行政によるGAP制度、流通業によるGAP制度の3つです。農家の実態や農業生産者の行いがGAPであるかどうかを判断するためには、尺度としての評価規準「GAP規準」が必要です。農場評価のポイントや農業者の遵守規則などを記述したチェックシートとそれを判断する評価の規準です。このチェックシートそれ自体をGAPと呼んでいるところがありますが、シートはGAPではなく、農業者の行為がGAPになっているかどうかを「評価・判定するための尺度」であり、したがって全てのGAP制度はGAP規準を持っています。
GAPの農場審査には審査規則が必要
農場がGAPであるかどうかは「評価の結果」で分かるものですから、一般的には検査や審査と言われる「評価の行為」が必要であり、そのための「審査規程」が必要になります。しかし、流通業者のGAP制度にはありますが、農業者と行政のGAP制度にはありません。鹿児島県のGAP制度は農産物認証制度ですから、行政としては例外的なものです。審査規程が無い理由は、農業者は自分自身が適正管理すれば良いからでしょう。行政は、農業者が実際にGAPを実施すれば、食品事故の発生確率が下がり、消費者の信頼につながると考えてのことでしょうか、審査は行いません。流通業者は、仕入れる商品に瑕疵があってはいけないから、「審査規程」に従って、取引きをする農場の実態を審査し、その結果、審査に合格しなった農場を排除するということになります。
GAPの実践には農場管理規則が必要
GAP規準は、農業生産の状況や行為の適否を評価するためのチェックリストですから、そのシートでGAPを実践する訳ではありません。そのために農業者は、自らGAPを実践しようとすれば、自分の農場の実態や経営管理上のリスク評価を行い、問題があれば解決の方法を考え、日常の管理の中でそれを改善し、GAPを実現するために幾つかの「農場管理規則」を作ることになります。生産者がGAPに取り組めば当然にそうなっているようです。例外的に栃木県のGAP制度には農場管理規則があります。栃木県では、特産のいちごで残留農薬事件を経験して、県主導で本格的なGAPの普及に取り組みましたが、その際に、農業者を指導するための手段として「農場管理規則」の必要性に気付いて作成しました。行政が期待する「適正農業管理」であるために、「農業者は何をどのようにすればそれが実現できるのか」という「適切な行為」について記述したものです。
日本では、一般に、農業者に対して「GAPであって欲しい」という要望を出す立場の行政や流通業などの、いわばGAPをやらせる立場では、「農業者がどうすれば良いか」ということを記述した農場管理規則は作成していません。特に流通業者がGAPに期待するものは「安全な農産物」ですから、それが保証できる農場管理になっているかどうかを判断するための制度ではあっても、そのための対策を「農業者がどのように行えばよいか」ということにまでは言及しないのでしょう。
日本のGAP認証は公的に認定されていない
行政でも鹿児島県は例外で、GAPというよりは、鹿児島県独自の農産物の認証システムなので、行政が検査・認証を行っています。農場認証の内容ですが、生協のように農家の取引相手(第二者)による認証であったり、第三者認証でもJGAPのように認証会社(Certification Body)そのものが国際的な認定組織(Accreditation Body)の認定を受けていないというのが実状です。世界の様々な認定・認証事業はISOが標準とされ、政府ではなくIAF(インターナショナル・アクレディテーション・フォーラム)に加盟し、世界標準の確認をする国際的な認定機関が認定した認証会社が審査することで、その評価が適正であると公式に評価されるのです。
しかし、日本のGAP認証制度には、残念ながらその考え方がありません。そのために、JGAP認証制度の青果物に関するチェックリストは、2007年にGLOBALGAP認証制度のGAP基準と同等であると暫定認証をされましたが、GAP認証制度の最も肝心な「審査規程」について認証されていなかったために、結果として同等性認証はされませんでした。
JGAP青果物Ver2.1では、GLOBALGAPとベンチマークしたのは、EUREPGAP_BMCL_FP_V2-1_Oct04であり、暫定認証の理由は、管理点と遵守規則「CP・CC」のみの認証だからです。本来、同等性認証というためには、GAP認証制度の規準文書である管理点と遵守規則「CP・CC」と、認証規則「GR」についてベンチマークしなければならないのです。JGAPはチェックリストだけの認証であり、農場をどう判断するかという認証に関する規則が認められていなければ、同等性の認証が出せないのは当然のことです。さらに2008年3月にGLOBALGAPがVer2からVer3に変わったために、JGAPの暫定認証も期限切れになっています。
GLOBALGAPとの暫定認証契約を交わしている間は、JGAPマークを商品に貼付することも禁止されていました。同等性認証を受ければJGAPマークが使用できるのですが、暫定認証であるがために消費者にJGAP=GLOBALGAPという誤解を招くという理由で、GLOGALGAPには直接関係のないJGAPマークも使用が出来ないという状態になったのです。このように、世界のルールの中で認証制度がその存在理由をもっているのですが、日本では、このようなことがあまり理解されていません。
そもそも国として、真のGAPの必要性や、商取引き上の農場認証などについて、ほとんど理解がされていないのかもしれません。
食品安全に偏向する日本のGAPと欧州の普及員が行う営農指導GAP
言葉だけで、実際は環境への配慮に欠ける日本のGAP
日本のGAP推進およびGAP認証では、食品の安全性ばかりが重要視されていて、肝心の環境汚染の問題に気付いていないことが多くあります。
例えば、規模拡大を目指す政策の中で、水稲の苗作りを大量生産で集中的に行うために育苗センターを作ると、育苗センターでは省力化のために作業が自動化されます。作業ラインに乗った育苗箱には培土が自動的に入れられ、播種、水遣り、そして殺菌剤が自動散布され、覆土されて育苗ラインから出てきます。この自動化によって僅か2人で何十ヘクタール分もの作業が終了します。ところが、そのラインの下を覗いてみると、沢山の水滴が落ち、大量の水滴には殺菌剤が含まれています。見て分かるほど白濁しているのです。
自動播種機の下の溝に落ちた流れは、建物の外に作られた側溝に出ます。その側溝はと見ると、敷地の外まで続いており、それは、農業用排水路に、場合によっては、農業用水に流れ込むという構造になっているのです。小排水に出た殺菌剤は、大排水に、大排水からはポンプアップされて一級河川に、その河川水は、公的水道水の水源かもしれません、そうでなくても下流の農業地帯で農業用水として取り込むことは充分ありえます。
このような問題をどうやって解決すれば良いのでしょうか。「コストがかかりすぎるので農薬の処理装置は入れられなかった」という実状に対しては、どのような方策を採るべきでしょうか。これは重要な課題です。 溶液栽培の野菜農家などでも同じような問題を抱えています。排液に含まれる窒素等は、公共用水や地下水へ流入させてはならないのですが、浄化装置を設置してなかったり、廃棄の際の窒素濃度を確認していなかったり、それらのコスト高を理由に現実の農業経営では対策が進んでいないことが多いのです。
規範が明示されない日本では、GAP規準を食品安全と読み違えている
欧州では、このような農場からの排水・廃棄物などに関する法的規制があり、GAP規範としても明らかになっています。農場から排出する物質についての法律と規範がありますから、農業者はそれを遵守するためには、排水・廃棄物管理計画を立てて実施し、排出する危害要因がどれだけになっているか、GAP規準内に収まっているのかどうかを計測して記録するのです。これによって、「わが農場では、環境に負荷を掛けていない」あるいは「許容範囲である」ということを主張し、証明できるのです。
日本の多くのGAP指導においては、農場で生産された農産物の安全性は、「如何に衛生管理が良く、食品への危害物質がない」という点においてGAPである(GAP認証農場)と評価されていますが、その農場が、実は汚染物質を農場外に垂れ流し、地下水を汚染し、河川や湖沼を汚染し、廻り廻って産地そのものが汚染され、「農業を続けていくことが出来なくなる」としたら、それはGAPとはいえないでしょう。持続的農業になっていないのです。
持続的農業となるGAP管理システムを作ることは、GAP実践の最大の目標なのです。これからは、そういう環境を良好に保持する農業モデルを作っていかなければならないのです。今なぜ、「GAP(適正な農業のやり方)が必要だ」と、あえて言わなければならないのか、GAPの本来の意味はそこにこそあるのです。
チェックリストを農家に配るというミス
私ども(AGICのコンサルタント)が農業現場でGAPの指導をしていると、判断に迷うことが沢山あります。水の問題でも、農薬の問題でも、土の問題でも、自然循環機能を損なうのではないかという疑いを持たざるを得ないことが沢山あるのです。
そこで、普及センターや県庁などに問合せをするのですが、「学説はあるが一般的ではない」とか、「そういう事例は今までもあったが結論は出ていない」とか、要は規範がないために、担当者も専門家も応えようがないのです。
このように、「農業のあるべき姿」すなわち「GAP規範の示すもの」が明確に存在しないにもかかわらず、無理にGAPを実践させようとすれば、農業現場に無理が来ます。現状では、チェックシートが配られて、書き方の説明があって、農業者は自分で管理項目ごとに逐一チェックして、「自身の経営改善に役立てなさい」ということになっていますが、これではあまりにも無茶です。それにも関わらず、行政としては、配ったチェックリストを回収し、何人が記入を実施したかを集計して、GAPの普及率を決めるということをしています。農業者は、チェックリストに記入することで何が得られたでしょうか。
チェックシートの内容も問題です。「肥料は、栽培基準等に基づいて適正な量・方法で施用しましたか」「農薬は整理・整頓し、適切な場所に保管しましたか」というチェック項目に、ほとんどの農業者は、○をつけて提出しているようです。これで、環境保全になるのでしょうか。作業者の安全や農産物の安全が確認できるのでしょうか。このようなチェックでは、GAPの検証とはいえません。「問題なし」として○を付けた農業者に聞いたら、「チェックリストに×をつけたら、出荷できなくなる」と言った方がいました。こういう農業者は、実は正直な人なのだろうと思います。この人は、チェックリストの意味を認めていないということなのです。もしも、こういったチェックリストの意義を認めて、本音で×を沢山つけた農業者がいたとすれば、農協も行政も大いに困ることになるはずです。この人の不適合をどのように矯正したらよいのか、方法がないからです。そして、この農業者は「しょうがない人だ」という結論を出すかもしれません。他の多くの農業者は、○を付けて「私はちゃんとGAPを実行していますよ」と申告しているのですから、×ばかりつけてくる人がいれば、その人が「困った人だ」ということにされてしまうのです。
GAPの指導は正しい農場評価と判断力
このチェックリストの方式では、農業の適正さを誰も確認をしていないのです。確認しようにも、チェックリストに対して何が適正なのか決まっていないからです。
GAPの普及のためには、GAPの意味とその必要性を充分に理解しなければなりません。そのためにはチェックリストの前に、質問項目に関連する情報や知識を吸収するとともに、GAPを実施するための技術を習得することが必要になります。GAPの「P」のPracticeは、理論ではありません。実行・実施・実際、行為や癖、慣習・慣行、やり方・通例などのことです。GAPを「生産工程管理手法」と表現する人もいますが、農業の現場にはGAPという「技術」があるわけではありません。そもそも農業者によってそこで行われている行為、やり方、習慣などについて、「GAPであるか、GAPではないのか」を判断しなくてはならないのですから、指導者は、現場で充分に経験を積んで、指導者自身が判断力を身に付けなければなりません。こういうことをするのがGAPの普及活動です。
GAPは普及員が行う営農指導
EUでは、行政がGAP規範を作り、GAP指導者を養成し、農業者にGAP指導を行っています。ここでいうGAP指導とは、日本でよく言われる「P・D・C・A」などの経営管理サイクルの考え方ではなく、農業の各局面で、「何をどうすれば適正なのか」について具体的に技術指導をすることです。つまり、具体的な営農指導そのもののことです。「A圃場の施肥計画はどうすれば適正なのか?」「B農場の作物保護計画はどうすることが適正なのか?」などについて具体的に指導することです。そして、農業者の行為が適切になるために必要な情報を提供し、場合によっては作業指示や、改善指示も出すことになります。
GLOBALGAP認証基準にある「農薬の選択は公的機関のアドバイスを受けたか?」という質問は、こういう意味なのです。農業技術員の指示に従って作業を実施していれば「適正である」ということなのです。適正であること示す基準を農業技術員に従うことで共有し、農業者は農業技術員に示す記録を残すのです。この記録を農業技術員が承認すれば、それが内部監査にもなるでしょう。
認証基準では、このような農業管理のシステムをQMS(Quality Management System)と呼んでいます。これは、生産部会としての運営規則でもあります。この仕組みの中で、様々な手順書やガイドライン、指示書などが使用され、日常的にGAPが管理されているのです。
欧州のGAP実践の状況がこうだからと言って、日本の事情とかけ離れているわけではありません。GLOBALGAPが初期の基準文書の冒頭で「GAPとは農業界の悪い習慣をやめることである」と言った背景には、欧州の多くの農業者も、日本の現状と同じように、補助金や罰金などによってGAPに取り組むことはあっても、実態は行政が全てを管理しきれるものではないということです。従って、買手であるスーパーマーケットでは、「悪い習慣を改め、認証試験に合格しなければ取引きをしない」と言ってきたのです。
正しいGAPの理解と地域の農業政策
無理な規則と技量なき指導者
日本のGAPではさらに大きな問題があります。今、国内の大方のGAP規準は欧州のGAP規準を参考に作られています。しかし、EUは共通農業政策で、農業のあるべき姿に関して基本的に共通の認識を持っています。そのために、各国の農業の基本的な法律には共通性があります。特に、GAPに関しての規制(環境保全や一般衛生)は、EU域内では同じと見ることが出来ます。そこで守らなければならないGAP規準の項目は、EU特有の問題を解決することなのですが、それらの規則をそのまま取り出して日本のGAP規準に当てはめているところがあります。遵守規則というものは非常に具体的ですから、欧州には、日本農業では常識になっていない、存在すらしない規則もあります。それをそのまま「世界基準だから」といって取り入れて、「これを守るべきだ」といわれても困ってしまうのです。それでは日本における期待される農業にはならないのです。
さらに次の段階ですが、仮に日本の適切なGAP規準が出来たとしても、いざこれを普及しようとしても、誰もGAPの教育を受けていない、Good Practiceのトレーニングを受けていない、という問題があります。GAPを見たこともない、触ったこともない、文献で読んだだけ、GAP規準の読み方を習っただけ、という指導者が、現場に行っても指導は不可能です。そういう実態を、私は、「分かっていない人が、知らない人に教えている」と言っています。こういう指導者によるチェックは、単に報告のためのチェックとなり、形骸化したGAPになってしまうのです。
政策としての適正農業のCODE(of Good Agricultural Practice)
GAP指導に必要な要件は、農場評価の技術だけではありません。はじめに、農業の本来の意味を果すために農業はどうあるべきかを考え、それを実現するための仕組みを作り、実現に向けて行う努力が必要です。私達が欧州に学ぶのであれば、欧州特有の農業事情で作られたGAP規準の一つ一つを真似るのではなく、「なぜGAPが必要なのか」、「どうすればGAPになるのか」、「そのために日本では何をすればGAPが実現できるのか」ということを欧州の農業政策の歴史や日本農業の現実から学ぶべきです。
そのためには、先ずGAPに対する正しい理解が必要になります。「GAPは、人類が未来永劫、食料を供給し続けることが出来る農業の在り方を考えるためのものであり、その実現に向けて農業経営モデルを構築していく持続的農業を目標にしている」ので、そのためには、日本が置かれた農業環境の中で、日本農業の未来への展望を開き、その実現のために今行うべきことについて国民的コンセンサスを得ながら実現していくことが必要です。
日本政府が「期待される農業」を明確にしなければ、GAPとBAP(Bad Agricultural Practice)の区別をつけることが出来ません。何がGoodで何がBadなのかが分からなければ、行政による査察も、買手側による農場認証(FA:Farm assurance)も本来は不可能です。その結果としての改善による実践(Practice)もできません。また、GoodかBadかは科学的な手法で決まるものばかりではありません。期待される日本農業の実現に向けて、戦略的に取り組む国家的な課題でもあると思います。この点もEUから学ぶべき大きなポイントです。
EUでは、1970年代に農業による環境汚染に目覚めて、1980年代にGAP規範を作りました。これは、一地域の取組みでは解決できないということであり、EU共通農業政策の重要な柱になりました。環境問題で大きな問題を抱えていたイギリスは、EU加盟に当たって農業における環境規制をかけることを強く主張し、EU加盟国になったとも言われています。農業を優先させる国では、EUの農業予算で自国にGAP政策(クロスコンプライアンス補助金)を取り込むという思惑もあったかもしれません。EUでは、EU共通の持続的社会作りとういう大きな課題を解決するために、1990年代に加盟各国がGAP規範を作ることになりました。そして2000年には、各国で指導制度を作って本格的なGAP普及が行われているのです。その結果、EUでGAPが急速に普及し、2005年にはGAPが義務化されるに至っています。
日本政府は作らないCODE(コード:規範)
振り返って「日本ではどうすべきなのか」ですが、現在、公的なGAP規範はありません。農林水産省では、日本の標準的GAPの作成のための委員会を作って検討し、2010年に、「GAPの共通基盤に関するガイドライン」を発表しました。食品安全、環境保全及び労働安全に関する工程管理として取り組むべき事項を示し、それらに対する法令等の根拠を明らかにしました。しかし、それはGAP規範ではありません。農場評価を行う際のGAP基準、つまりチェクリストなのです。やはり、日本の農業者が目指すべきチェックリストは一つの方がよろしいという考え方のようです。
しかし、すでに見てきたように、GAP規準は、それを期待する立場によって自ずと異なるものになります。農産物の取引条件にもなるものですから、これが日本で一つでなければならないということはありません。それよりも、それぞれのGAP規準が、何を根拠に管理項目と遵守規則を作るのか、そのよりどころとなるGAP規範を作るべきなのです。英語でCode of GAPと言っていますが、Codeを直訳すれば「法典」あるいは「規約の体系」であり、農業が適正であるために定めた法令や科学的法則や実践的根拠などを体系として編纂したものです。
「日本GAP規範」の活用とGAP政策
これを国が作るのか、県が作るのか、それは分かりません。EUのように、EUとしての共通法令(理事会指令など)があって、その上に加盟国の地方政府が、実践的な独自規範を作るということを参考にすれば、国としての共通の土台に各県の独自の部分を加味する、ということもよいと思います。そのためには、GAP規範がなければ始まりません。日本政府が策定しないので、一般社団法人日本生産者GAP協会が、2011年5月に「日本GAP規範Ver.1.0」を刊行しました。それを基礎として栃木県が「栃木県GAP規範―良い農業を実践するための心得―」を、また、福井県では、「安全・安心な農業実践ガイド-福井県」を刊行しています。また、富山県は「富山県適正農業規範に基づく農業推進条例」を制定し、「富山県適正農業規範」(2011年12月)を刊行し、2012年度には新潟県が「新潟県GAP規範」を、長野県が「長野県適正農業規範」を発表しました。
次の課題は、現実的なGAP普及の対策です。農業者に無理があってはできません。生産と流通と消費の関係者、そして納税者の理解が必要です。それぞれが別々の対策を考えるのではなく、人間と環境を大切にする農業の持続的社会を作るための方法を、社会全体の構造改革として取り組むことが求められるのではないでしょうか。
その取組みには段階もあると思います。欧州では、GAPに関する法規制があって、行政の指導があって、奨励制度があって、農業の現場が徐々に改善されてきました。大方の農業者のGoodとBadの認識が出来た段階で、流通側が「Badな農場とは取引をしない」といっても何も問題は起こらなかったのです。Goodな農場管理すなわちGAPの考え方が当たり前になっていたからです。
日本は、現在そのような社会構造になっていません。政策は段階的に行われず、農業がこうあるべきという規範を作らず、農業者には「自己管理ができる」というモデルに基づいて、GAPの最終確認をするためのチェックリストを配ったのです。繰り返しになりますが、農業者がGAP規範を理解し、GAPを実践するための日常的な指導が必要であり、それこそが、GAPの普及事業そのものなのです。それには、はじめにGAPに対する正しい理解が必要です。日本が目指す(期待される)農業の未来像を確認します。そして日本の公的なGAP規範(適正農業規範)を作り、GAP実践のインセンティブ(経営確立)を準備し、GAPを推進、指導・管理する人材を配置することが必要です。
日欧のGAPの比較とGAPの意味するもの
欧州のGAP農場認証の経緯
EUでは、多くのスーパーマーケットが農産物の仕入基準として農家監査制度を実施しています。その一つイギリスの「テスコ」には「ネイチャーズ・チョイス」というスーパー独自の監査制度があり、農家が行う実施規則(The Code of Practice)と、それを審査するための判定リストがあります。この実施規則では、「農家はイングランドやウェールズのMAFF(農水産食料省)が定めた適正農業規範(CoGAP、GAP規範)を最低基準として遵守すること」を要件としており、その上に前述のテスコの要求事項を盛り込んだ詳細な規則を定めており、独自の監査を行って取引農家を選定しています。
グローバル化し、寡占化が進んだ欧州のスーパーマーケットは、このような「農家監査制度がスーパーごとに異なり、またその基礎となる各国政府の「GAP規範」の内容が少しずつ異なるのは不都合だ」として、EUREP(欧州小売業団体)が、共通する項目をまとめ、「欧州の多くの小売店が許容できる最低限度」の遵守規則(GAP規準)を作り、第三者認証制度で統一的に実施する「総合農場認証制度(Integrated Farm Assurance)」を開始したのです。
EUの共通農業政策(CAP)により、GAP規範の遵守は2005年以降、農家の当然の義務となり、また販売先の要望としての現実的な農場認証制度が整った欧州事情の中で、EUREPでは、同年以降、輸入農産物に認証を要求することになりました。そのため、欧州のEUREP加盟店に農産物を輸出する各国は、自国農産物の輸出対策としてGAP農場認証制度の導入を始めています。
日本のGAPは関係者間に齟齬
日本の商業GAP規準として2004年に筆者らが作成した「JGAP認証制度」は、欧州小売業団体のプライベート規準「EUREPGAP認証制度」のコピーです。従って、日本と欧州との法的、制度的、社会的、気候的、文化的な相違などが背景にあり、日本の農業現場ではGAP規準の矛盾点となって現れています。また日本では、農業分野における環境保全に関する現場の意識が低いために、EUのような強力な指導や管理の体制が取れず、また、農産物の食品安全に目標を絞ったGAP指導が行われたために、GAP規範やその遵守について、農業現場にほとんど浸透していません。
欧州においても、食品危害に対する管理体制は極めて重要であり、GAPの目標やGAP実践の要件となっていますが、農業由来の環境汚染を起こさないというGAP本来の目的は外すことなく、行政も、流通業界も、生産者も、その認識のもとでGAPに取り組んでいます。その結果として、生産・販売・消費の相互の信頼関係が保たれることになります。
しかし、日本では、農業由来の環境汚染をなくすという基本的なGAP認識がなく、環境汚染に関する「汚染者負担の原則」の考え方がありません。そもそも食品安全のための管理技術に限定してGAP管理の導入を図っているために、生産者と販売者、生産者と行政、食品安全と環境保全などの間に齟齬が見られています。
GAPで求める環境便益
EUでは、共通農業政策の観点から、「GAP規範は、農業者が守るべき最低限のマナー」であるといっています。現代農業は、地球の自己修復性機能を破壊する危険性をはらんでいるのですから、産業としての農業は、汚染者負担の考え方に立ち、「せめて汚染はさせない」ということが「最低限のマナーです」ということなのです。このマナーが守られれば、「これ以上悪くなることはない」ということになります。
しかし、現在の農業実践として、「環境負荷がゼロになった」というだけでは、これからの目指すべき農業にはならないのです。すでにEUでは「環境や景観に対する明らかな便益」が求められています。日本でも生物多様性の助長などが問われ、農村の景観保全や保健休養の場作りなどと合わせた農業の多面的機能の議論が盛んになってきていますが、それらを実現するための農業の形については、現実的な農業実践として適正農業規範の課題にする等の強い形では認識されていません。これからの日本農業を方向付けるためには、多面的機能などの環境へのプラスの機能についても明確な適正農業規範に入れ込み、管理規則を定め、それらを守ることにより着実に実現して行く必要があると思います。
金銭で計れないGAPの価値
EUでは、主に環境保全型農業をGood Practiceとしているのに対して、日本では主に食品安全をGood Practiceと考えてGAPの推進を行っているという大きな違いがあります。いずれもGAPの重要な目標であることには違いないのですが、農産物流通という経済活動の中で、GAPを推進していくに当たって、GAPを求める側と求められる側にはそれなりの相違があります。流通業者が、消費者に安全な農産物を供給するためにする努力は当然ですが、小売店が「自社の看板に傷を付けたくない」という理由だけから、生産側にGAPを要求するとすれば矛盾が起こります。なぜなら、農産物は「安全で当たり前」だからです。つまり農産物に危害要因があればそれだけでペナルティーの対象になり、少なくても流通停止です。したがって食品安全の面だけでは、農業を評価するということにはならないのです。農業活動における環境保全の努力を評価せずに、取引条件としての食品安全の確保という視点だけで判断し、しかも環境保全や農産物の食品安全を市場原理の中だけで実現しようとすれば、生産側に無理が来ます。農産物を低コストで大量に生産するということは、自然環境の保全を保証することにはつながりませんし、食品の安全性を確保する保証にもつながりません。「農産物の大規模・低コスト生産においては、その過程は二酸化炭素の削減も生態系の保全も意味しないのです」(千賀,2009)
GAPのコストを消費者負担と納税者負担で
GAPでは、このような視点がとても大切なのです。この視点をどのようにして実際の経済や農業政策に反映していくかが問題です。少なくとも市場原理主義ではダメなのです。
EUでは、共通農業政策として、実施者に所得補償をすることでGAPを推奨しました。2005年を境に、「(今までの)GAP以上というGAP(環境便益)」に対しての直接支払いになっていますが、いずれにしても、このような政策によって法令遵守としてのGAP規範や、仕入基準としてのGAP認証制度の目的が達成されているといえます。このようなGAPに対するインセンティブがなければ、欧州のGAPも普及しなかったでしょう。
日本で農業者にGAPを推奨すると、「農産物を高く買ってくれるのでしょうか?」という質問が来ます。返事は「ノー」です。食品安全だけがその目的と考えられている日本のGAP事情では、「安全性が保障されなければ買わない」ということはあっても、「安全だから高く買うということはあり得ない」のです。したがって、市場で食品安全への不安が募ると「GAP をやらないと買ってもらえなくなる」という言葉が出そうです。インセンティブは、金銭的なことだけではありませんから、安定的な販売が可能になるということもGAPを実施する誘引にはなるでしょうが、しかし、それだけでは弱すぎます。
農業経営もまた経済活動ですから、GAPに係る費用がカバーされなければ持続できるものではありません。そして、農業経営が持続的でなければ農業が持続できないのですから。EUは、GAPに係る費用とGAPによる収益減少を納税者負担でカバーしたと言って良いでしょう。2005年以降は、「統合農業」や「合理農業」、「有機農業」、その他の「それ以上のGAP」に対して支払っています。期待する農業に対するコストは、消費者負担と納税者負担の両輪でカバーすることが必要と思われます。なぜなら、農業とは人類に安全な農産物を安定的に供給し続けるものだからです。
生産振興から環境保護への政策転換
GAPの目指すものは何か、日本では一般に「GAPは有利販売のために行う」、「所得向上のために行う」と説明がされることがあるようですが、それはGAPの本質を捉えた表現ではありませんし、それを目標にしたGAPの推進では農業現場で矛盾が起こってしまいます。
近代農業の中心的課題であった「工業技術の導入による生産性の向上」ですが、それだけのモデルではうまくいかないということが判ってきました。このことは、今では多くの人が認めるところだろうと思います。人間の健康と、そのための好ましい環境作りと、それらを確立することにより農業生産が持続できる新しい農業モデルを作らなければなりません。
日本では、農業政策でも、「農業者が頑張って強くなって、企業的農業を行うべきである」と言っています。しかし、そうではないという見方もたくさんあります。
欧州でも日本でも、持続的農業による国土の保全、水源の涵養、景観の形成、保健休養などの方向が志向されています。1993年にガット・ウルグァイラウンドが決着したとき、EUは農業者への補助金の概念を変えました。「農家を守るため」、「経済競争に勝つため」ではなく、農業者が日常の活動をすることで守られる農業環境を、「国土を守る」という農業の機能に対して「国民が支払う税金から直接支払いをするのだ」という主張でガットの貿易交渉が終結したと考えてもいいのではないかと思います。
OECD(経済協力開発機構)は、2002年に続いて2010年にも、日本の環境政策について改めるよう勧告しています。(GAP普及ニュース22号20~22頁)その報告書は、農業政策において「環境インパクトを最少化し、生物多様性を保護するために、農業への支援方策をデザインし直すことが必要である」と指摘し、補助金を、生産支援から農業者への直接支援に切り替えることが必要であると勧告しています。(完)
GAP普及ニュースNo.10~No.32 2009/11~2013/5